↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/300

第30話 書物ではなく人に在る

ハルダーの弟子のミルカには、断ると答えた。理由は言わなかった。訊かれなかったからだ。


降臨学の書庫は、11本目の塔の地下にあった。地上に3階、地下に4階。地下の方が深い。40年前に建った塔だが、掘る方に金をかけたらしい。


トバイアスが階段の途中で足を止めた。陣を4000回組んだ3年生だ。組んで、重ねて、崩れて、また組む。それを3年やって、まだ足りないと言っている。案内を買って出てから、どの塔でも先に立って歩いていた。


「僕は、ここまでです」


「なんでだ」


「下は、3年生以上でも申請がいります」


「というより……誰も行かないので、申請の仕方を誰も知りません」


俺は魔石の灯りを1つ借りて、下へ降りた。


地下1階。棚が整っている。人の手が入っている。地下2階。棚の上に埃がある。だが床は掃かれている。地下3階。床にも埃があった。俺の足跡が残った。


地下4階。


扉が、開かなかった。蝶番(ちょうつがい)が錆びて固まっている。閉じたのではなく、開けられていないのだ。


俺は掌を扉へ向けた。


陣が1枚。


闇が蝶番へ流れて、錆と金属の境目を舐めた。支えを失った扉が、内側へ倒れた。埃が、胸の高さまで舞い上がった。


灯りをかざした。部屋は狭かった。棚が4つ。地上の講堂には200人が座り、40冊の名が読み上げられていた。その同じ塔の底に、この部屋がある。


俺は棚に近づいた。


棚の前で、俺は一度だけ振り返った。自分の足跡が、扉から真っ直ぐこちらへ伸びている。30年、誰も降りていない。ハルダーはそう言った。


王家の書庫の扉は、鍵穴だけが磨かれていた。誰かが最近開けた跡だ。ここは逆だ。誰も開けていない跡が、床の埃にそのまま残っている。


隠されたものより、忘れられたものの方が探しにくい。


背表紙は、ほとんどが読めなかった。革が乾いて、文字が粉になって落ちている。指で撫でると、その粉が指紋の形に残った。


3つ目の棚の、下から2段目。そこに、紐で綴じただけの束が並んでいた。


背表紙が無い。


(……見たことがあるな、この形は)


王家の書庫の、いちばん下の段。あの獣皮の束と同じ綴じ方だった。俺は1束を引き出した。表に、1行だけ書いてあった。


『降臨手順考。レント。』


俺は床に座り込んだ。


借りた魔石は暗い。指先に火魔法を灯して、頭の上へ放した。小さな火が、そこで止まった。棚と、床の埃と、俺の手元が、まとめて明るくなった。


開いた。最初の3枚で、書いた男が何者かが分かった。


レントは、俺と同じことを考えている。1枚目にこうあった。


——天使が地に降りたのなら、天使は移動したのである。移動には、必ずやり方がある。奇蹟という言葉は、やり方を知らぬ者が、知らぬままで済ませるために置いた蓋である。


(おい)


300年前だ。300年前に、この大学に、蓋を叩いた男がいた。


俺は読み進めた。レントは、まず降臨の伝承を全部並べていた。次に、そこから「移動」に関わる記述だけを抜いた。7つの候補地の伝承のうち、5つに共通する一節があった。


——天使(かのもの)は、歩いて来たのではない。


残る2つのうち1つにだけ、別の一節があった。移動には関わらぬとして、レントは欄外に小さく写しただけだった。


——天使(かのもの)は、咎(とが)ある者を討たず。足元より冷やして、連れて去る。


踵が冷えた。王家の書庫で、5枚目の線をなぞったときと同じだった。


(……連れて去る、だと?)


俺は連れて行かれてなどいない。死んで、ここへ落ちた。


爪の先で、欄外に筋を1本つけた。それから次の枚をめくった。


レントはそこから、人間界に残る移動の術を洗い出していた。馬。船。転送陣。これは荷を運ぶための古い仕掛けで、決まった2点の間しか繋がらない。今はもう作れる者がいない。


そして、空間魔法。


俺は指を止めた。


空間魔法。


エリシアが道中で言っていた。壁を越える、扉のない部屋へ入る。物語に出てくる古代の魔法。使えた者がいたという記録は残っているが、術そのものは失われている、と。俺はあのとき、それを聞き流した。人間界の内側を動く術だ。界を越える話とは、規模が違う。


だが、レントはこう書いていた。


——空間魔法と、界を越える術は、同じものの大小である。前者は室の内で歩き、後者は室そのものを跨ぐ。跨ぐには量が要る。人にはその量が無い。ゆえに人には前者しか使えぬ。


俺は、その1行を3度読んだ。


(……そうか)


俺は、階段を1段飛ばしていた。俺が探していたのは、界を越える術だ。それしか見ていなかった。前世で覚えなかったのもそれだし、天界へ行くのに要るのもそれだ。


だが、その下に段がある。同じ体系の、小さい方だ。人間でも使える大きさに切り分けられた、下の段。


下の段を知っている人間は、上の段の《《文法》》を知っている。


使えないだけだ。


俺には、魔力量がある。人間界の誰も持っていない魔力量が、この身体にはある。18年かけて、あの穴で積んだ。


俺に無いのは、書き方だ。


(揃うじゃねえか)


俺は、床の上で笑った。声が出た。地下4階の狭い部屋で、埃が跳ねた。


「クク……」


だが、笑いは長く続かなかった。


俺は束の残りを繰った。レントは、空間魔法の術式そのものを書いていない。というより、持っていない。彼が集めたのは、空間魔法が実在したという記録の断片だけだ。300年前の時点で、それは既に「失われた古代魔法」とされていた。


最後の1枚に、こうあった。


——余は、一人に会うた。


俺は火を手元へ引き寄せた。


——余は、一人に会うた。その者は室の内を跨いで見せた。余の目の前でである。ゆえに術は失われておらぬ。伝える者が減っただけである。


——その者は名を告げず、住まいを告げず、書き残すことを禁じた。守らねば見せぬと言うたゆえ、余はこれを守る。


——余の学は、ここで終わる。この先は、書物ではなく人に在る。


俺は、その束を閉じて、表に書かれた名を親指でなぞった。


300年前だ。


2000年ではない。300年前に、空間魔法を使える人間が、この大陸に生きていた。名も、場所も無い。だが、いた。


俺は立ち上がった。膝が鳴った。どれだけ座っていたのか分からない。頭の上の火が、拳ほどに小さくなっていた。


これで3度目だ。王家の書庫は空だった。この大学は、問いそのものを作っていなかった。そして300年前の男は、答えに触れて、書かなかった。


だが、前の2つとは違う。あれは行き止まりだった。ここは違う。


道は続いている。続いている先が、《《書物ではない》》というだけだ。


(……人か)


階段を上がった。地下3階まで来たところで、足を止めた。


俺の足跡が、往きと帰りで2本ある。そのあいだに、もう1本あった。


小さい。俺のより、ひとまわり小さい。


地下1階まで戻ると、灯りが1つ灯っていた。棚の脇に、娘が立っていた。灰色の前掛けをつけている。腕に、束を3つ抱えていた。


「お帰りなさいませ」


「レントの続き、こちらです」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。