第289話 64の街
反対したのは、7人だ。
大聖堂の奥の部屋に、13人集まって、紙を読んだ。紙には、同じ晩に同じ名を声に出せ、とだけ書いてある。読み終わって、6人が黙った。7人が、机を叩いた。
そのうちの1人が、わたしの叔父だ。
「ユーリカ。お前、この名を知っているのか」
「知ってる」
叔父は、紙を裏返して、裏に何も書いていないのを確かめた。
「魔王だぞ」
「知ってる」
「知っていて、聖堂で唱えろと言うのか」
「言ってる」
わたしは、そこで、言い方を間違えた。
短く返しすぎた。この人たちは、短い返事を「考えていない」と読む。わたしは、去年から、それが分かっていても、長く喋れない。長く喋ろうとすると、途中で腹が立つ。
腹が立つと、余計に短くなる。
兄が、横で38冊のうちの1冊を開いて、叔父の前に置いた。
指で、1行押さえた。22年前の項だ。名を持たぬ大悪魔、1と書いてある。
「叔父上。この1が、いま呼ぼうとしている名です」
部屋が、静かになった。13人のうち、誰も椅子を鳴らさなかった。
1というのは、22年前に上から落とされた者のことだ。その者の名は、上から伏せて渡された。当時の教会は、それを疑わずに1と書いた。
「……教会が、そう決めたことだ」
「はい。……その帳面を、私も、疑わずに使ってまいりました」
「では、お前も」
「私もです。……だから、38冊を書きました」
わたしは、その間、窓の外を見ていた。
話が長い。長い話は、途中で誰かが折れる。それまで、わたしは口を出さない。去年、ゼノの部隊で覚えた。わたしは3行目を撃つ係だった。1行目と2行目が出るまで、撃たない。
窓の下に、人が並んでいた。
信徒ではなかった。
パン屋と、鍛冶屋と、石工だ。大聖堂の前の広場で、朝から並んでいる。理由を、わたしは知っている。去年の冬、この街の井戸が3つ凍った。それを、上から来た者が直した。
天界の術者だ。38冊を読んで、来た。頼まれたわけではないらしい。
「叔父さん」
「なんだ」
「下、見てよ」
叔父は、窓に寄って、しばらく見ていた。わたしは、その間、何も言わなかった。言うと、台無しになる。この人は、人に言われたことを、絶対にその場で認めない。
「……何人だ」
「数えてない。……100は超えてる」
「あれは、何のために並んでいる?」
「唱えたいんだって」
叔父は、窓から離れて、椅子に座って、両手で顔を擦った。この人がその仕草をするのは、負けを認める前だ。子供の頃から、何度も見た。
「ユーリカ。1つ、条件がある」
「言って」
叔父は、顔から手を離した。
「聖堂では、魔王とは呼ばん。名だけを唱える」
「それでいい」
「……それでいいのか」
「あいつ、名前しか持ってない」
その晩、わたしは、屋根に上がった。
大聖堂の屋根だ。去年、柱が傾いたとき、わたしと兄が1万と少しの名を読み上げた場所の、真上にあたる。瓦に座って、広場を見下ろした。
人が、まだ並んでいた。前より減って、かわりに敷物を持ってきた者が増えていた。
兄が、下から上がってきた。
兄は、屋根に上がるのが上手い。去年知った。わたしから瓦2枚分離れたところに座った。
「ユーリカ」
「なに」
兄は、瓦の欠けたところを指で撫でていた。
「1万と少しでは、足りませんか」
「足りない。3つの界が要るって」
「では、集めます」
「どうやって」
兄は、袖から紙を1枚出した。
細かい字で、街の名前が並んでいた。聖国だけではない。王国も、砦も、峠も、谷も、村も書いてある。
「1年、写しを配ってまいりました」
「勝手に?」
「はい。……38冊のうち、落ちた者の名だけを抜いた分です」
「叔父さんに、言ってないの」
「言っておりません。……私は、一度、伏せた側です」
わたしは、その紙を受け取って、数えた。街が、64ある。64の街が、同じ晩に同じ名を唱える。見ていて、わたしは、手が止まった。64の中に、わたしの生まれた村があった。
あの村は、8年前に焼けた。誰が焼いたのかは、いまも分かっていない。
そのあと、誰も戻らなかった。誰もいないはずの村の名が、いま、紙の34番目に書いてある。
「ジーク」
「はい」
「ここ、人いるの?」
「11人、おります。……去年の春に、戻られました」




