第288話 同じ晩に、同じ名を
柱が数えているのは、名簿の方ではなかった。
私は、21年、それを取り違えていた。柱の内側には、若い声が1つ入っていて、名を読み上げている。その元が、どこかに書かれていると、私は思っていた。それを探して、38本の根元を全部掘った。
何も、出なかった。
無い物を21年探した男の話を、聞く者は普通いない。聞いても、途中で話を変える。
今日は、3人いた。1人は、翼が5枚になった方だ。1人は、片翼を開く癖のついた娘だ。1人は、両手に2種類の胼胝がある少年だ。3人とも、私の机の前に立って、黙って聞いた。
「柱は、呼ばれた名を数えている」
「呼ばれた、ですか?」
「そうだ。……書かれた名ではない」
根拠は、2つある。
1つ目は、去年、聖国の柱が傾いたときだ。兄妹が2人で、名簿を交代に読み上げた。1万と少しだ。その声に、柱の中の声が答えて、1つの名で止まった。名簿にあったせいではない。声に出されたからだ。
2つ目は、王国の柱だ。
白い行を当てられて、柱が3度数え直した。書かれていない行を、上から数えられなかった。書かれていないからではない。誰も、その名を声に出していなかったのだ。
「セイル。では、呼べば数に入るのか?」
そう訊いたのは、ザリエル様だ。
翼が5枚になってから、この方は、私に命令をしなくなった。訊くようになった。訊かれる方が、答えにくい。命令なら、できるかできないかで済む。
「入りません」
「なぜだ」
「1つの口では、足りません」
柱は、38本ある。
下の7本は、去年傾いて、そのまま、まだ立っている。下の者たちが、1年、名を呼び続けている。1本の柱を1つの口で動かすには、1年と40日かかった。
38本を、同時に動かす口の数を、私は計算した。
答えは、出ない。
私は、逆から数えた。柱が1つの名を「ある」と認めるには、同じ名が、同じ刻限に、3つの界から届けばよい。界が3つ。柱が38本。届く経路が、1尺の穴だ。
穴は、いま、各地に開いている。麦の村、ラセル、ローデン砦、魔界の地下、それに聖国の大聖堂だ。
「テオ」
「……はい」
「同じ刻限に、いくつまで開けられる?」
少年は、両手を見てから、右手の方を、1度握って開いた。去年、3枚目で痙攣した手だ。1年、この少年は毎月1つずつ穴を開け直してきた。
「……12です」
「12では、足りない」
「増やせます。……1人では、無理です」
私は、筆を置いた。
筆は、溝に収まった。去年、この机は傾いていた。そのまま、私は直さずに使っている。直すと、21年分の窪みが合わなくなるからだ。
「アステリア様」
「うかがいます」
「下の界に、次元の家系が何人残っている」
「リディア様の一族で、7人です。……そのうち、術が使えるのは4人です」
「4人と、少年で5人だ。……足りない分は、こちらから出す」
ザリエル様が、そこで、初めて口を挟まれた。
「天界の術者は、私の下にいた者だ。……いた、というだけだ」
「存じております」
「頼めば、来ないぞ」
「頼まなくても、来ます」
「……なぜだ」
「38冊を、みな読んでいるからです」
この方の翼が、1度だけ動いた。
5枚のうち、短い方の1枚だ。折れて生え直した翼は、動くと形が歪になる。歪な翼を、この方は、もう隠さなくなった。
「セイル」
「何でしょう」
「お前は、なぜ私に、まだ様を付ける」
「22年、そう呼んでまいりました。……今さら、変えられません」
刻限を、私は決めた。
下の界の、朝と晩の2回のうち、晩の方だ。晩を選んだのは、下で呼んでいる者たちの都合だ。朝は、畑がある。晩なら、34人が井戸の前に立てる。
それを、紙に書いた。
テオが3枚に写して、3つの界へ入れる。1年前と、同じやり方だ。ただし、今度は、行き先を書いた。
紙には、こう書いた。
——同じ晩に、同じ名を、声に出せ。
書いてから、私は、1つだけ、答えの無い問いが残っているのに気づいた。
呼ぶ名の綴りを、私は知らない。
あの男は、4年前に前の名を捨てた。そのあとの名は、3つの界の名簿のどこにも書かれていない。私は、それを、隣に立っている娘に訊いた。
「アステリア様。……あの方の名を、綴りでご存じか」
娘は、少し黙ってから、こう言った。
「ゼノ、です。……3文字です」
「それだけか」
「それだけです。……姓は、まだありません」




