↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
281/300

第281話 1尺の間だけ

縫い終わるより先に、糸が尽きた。


リディアの右手に、もう剥ぐ皮が残っていない。3日で、掌から手首まで剥いで、端から縒って糸にして、10尺縫った。あと1針分が、足りない。女は、左手を出そうとして、俺に止められた。


「そっちの手は残せ」


「……あと1針」


「その1針は、俺がやる」



俺は、自分の右腕を見た。


皮は使えない。魔族の皮は、裂(さ)けずに焦げる。使えるのは、闇の方だ。3年前、俺は自分の闇を糸にして、人間の腹を縫ったことがある。あのときは6寸だった。今度は1尺だ。


掌を開いた。6枚。6枚のうち、5枚を糸に回した。



そこで、縁の口が鳴った。


音が、翼のものにしては揃っていない。折れて生え直した翼は、風を歪(いびつ)に切る。この界で、そういう翼を持つ者を、俺は1人しか知らない。


ザリエルが、縁の口に立っていた。



6枚だ。


上の2枚が短い。折れて生え直した翼は、21年前から、この男のものだった。手に、何も持っていない。男は、まず、縫い目を見た。10尺を、端から端まで、目で数えた。


「……10尺か」


「あと1尺だ」


「セレスティアは」


「交代した。あんたの娘が、下で肩を貸してる」


翼が、そこで、一度だけ持ち上がって、落ちた。



「ゼノ。私は、止めに来た」


「誰をだ」


「あなたをだ」


「遅えよ」


「……遅い」


男は、それを認めてから、縁の石の上に置かれた紙を拾った。セイルが写した17枚目だ。1行目を読(よ)んでも、顔が変わらなかった。21年、ザリエルの顔は、詫びるときしか動かない。


「セイル。これを写したのは、お前か」


「私です」


「私の命令か」


「違います」


「そうか」


俺は、その短い返事で、腹の底で分かった。ザリエルは、部下に裏切られて、それを一言で済ませる。寛大だからじゃない。21年前も同じだ。俺を落とすと決めたとき、この男は、たぶん一言も揉めなかった。


「ザリエル。あんた、いま何を止めに来たんだ?」


「最後の1針だ」


「刺さねえと、下が落ちる」


「刺すと、あなたが残る」


「それが、あんたに何の関係がある?」



男は、初めて言い淀(よど)んだ。


答えが無いわけじゃない。持っている答えを、口に出す順番を、23年考えたことがなかった。


「……アステリアが、下にいる」


「知ってる」


「あの子は、あなたが残るのを見る」


「見るな、とは言えねえぞ」


「言えない。……だから、私が刺す」



俺は、笑った。


ザリエルが、21年かけて同じ場所に戻ってきた。21年前、この男は、誰かを1人落として、みんなを助けた。今日も同じことを言っている。落とす相手が、自分に替わっただけだ。


「ザリエル」


「なんだ」


「あんた、それをやると、また誰も困らねえ計算になるな」


男の肩が、止まった。


「……何が言いたい」


「あんたが残ると、あんたの娘が、また23年上を見る」


「見ない。あの子は——」


「見るんだよ。あんたの女房を、23年見てた娘だ」


「……」


「順番が、あんたの家だけ1つずれてんだ。母親が入って、娘が肩を貸して、今度は父親が刺す。あんたら、誰も同じ場所に立ったことがねえ」



俺は、糸を巻いた5枚を、右の指に絡めて、縁の口へ足を掛(か)けた。足の下で、床が鳴らなかった。ここから先は、もう床ではなく、綴じの内側だ。


「ゼノ」


「あぁ」


「……あなたに、詫びたいことが、もう1つある」


俺は、縁の口から足を下ろさなかった。


「順番が悪い。いま言うと、俺が刺しにくくなる」


「では、あとで言う」


「あとで、俺がどこにいると思ってんだ」



男は、それに答えずに、俺の背中側へ回って、縁の外側に、自分の足を掛けた。短い方の翼を、2枚とも開いた。折れて生え直した翼は、開くと形が歪(いびつ)だ。歪な翼で、ザリエルは、風上に立った。


「ゼノ。刺すのは、あなたでいい」


「あぁ」


「刺している間、下から来るものを、私が受ける」


「——受けきれるか?」


「受けきれない。……1尺の間だけ、保たせる」


俺は、それ以上、何も言わずに、針を持った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。