第274話 北の峠の柱
北の峠の柱は、俺の背丈の4倍あった。
石ではない。石なら叩けば欠ける。これは叩くと、掌の方が痺れる。触った感じは、冷えた鉄に近い。だが鉄なら、この高さで自分の重さに負けて傾いとる。そうなっておらんということは、上から吊るされとるということだ。
その先は、見えん。
「ザルカ殿。馬が、あと3頭死にます」
そう言ったのは、ドレクだ。
左の頬に古い切り傷のある男で、去年まで我が君の首を狙っとった。312人の頭だ。ヴェルナ殿が拾わんと言い切った相手でもある。俺は、拾う拾わんの話は知らん。峠に来た者は、来た者として使う。
「登る前に言え、そういうことは」
「登る前は、2頭と伺っておりました」
「増えとるじゃないか」
「風が変わりました」
俺は、峠の下を見た。
1400のうち、ここに来とるのは400だ。残りは南と、村の守りに、俺が割った。21年、俺は割る側にいたことがない。
ドレクの312は、いちばん風の当たる列に置いてある。
「ドレク。お前の列、風上だぞ」
「存じております」
「動かすか」
「動かしません。……数えていただく約束です。風下では、減りません」
俺は、腹の底が冷えた。
この男は、減る前提で列を選んどる。減らずに済む場所へ置いてくれと言わん。減った数を書いてくれと言う。21年、俺が上の者に言われてきたのは、その逆だった。
柱の根元に、穴が7つ空いとる。
穴は、指が3本入る大きさだ。中を覗くと、暗いのに、底が見える。そこに、細い線が1本走っとる。線は、峠の上の方へ伸びて、空の手前で消えとった。
グランの倅のラントが、その穴に耳を当てた。
「ザルカ様。鳴っています」
「何が鳴っとる」
「数です。……1つ、2つと数える声が、中で」
「誰が数えとる」
「分かりません。声が、若いです」
俺は、自分の板を出した。
石で線を引く板だ。我が君に教わった引き方ではなく、俺が自分で考えた引き方をしてある。峠は冬に雪で埋まる。だから、1400のうち、700を南へ回して、300を村に残す割り方にしてある。
板を、柱の穴に押し当てた。
思いつきだ。中で誰かが数えとるなら、こっちの数を見せてやればいい。理屈は無い。21年、俺は理屈のある命令しか受けたことがなかったので、理屈の無いことを自分でやるのは初めてだった。
穴の中の声が、止まった。
それから、板が熱くなった。
熱くなったというより、吸われた。石で引いた線が、板の表から消えて、穴の中の線に繋がった。その先が、光った。
「ザルカ殿。柱が」
「傾いとる」
4倍の背丈の柱が、峠の風下へ、ゆっくり傾いた。
倒れはせん。傾いたまま、止まった。その分だけ、空が下りてきた。峠の上の綴じ目が、指の幅ほど緩んだ。そこから、灰色の風が吹き下ろしてきた。
風は、冷たくなかった。
「ドレク。減ったか」
「まだです」
「見とけ」
「見ております。……ザルカ殿、あの板は」
「割れた」
俺は、真ん中から割れた板を、懐へ入れて、次の柱の方角を見た。南の谷だ。グランが行っとる。あの男は地図が読めんので、11の娘を連れて行った。
読めん者が、読める者を連れて行く。21年前の俺なら、恥だと言うとった。
「馬を1頭、南へ出せ」
「伝言は」
「こっちは傾いた。そっちも傾けろ。……それだけでいい」
「行き先は、書かなくてよろしいので?」
「書かん。書かんのが、今度のやり方だ」




