第273話 1本だけ離す方法
縄の長さは、3本とも同じでした。
それなのに、いま掌に残っている余りが、1本だけ短うございます。ゼノ様の縄です。引き戻すための余りは、はじめに5尺取ってありました。それだけあれば、半分入った方を一度に引き上げられます。いまは、2尺しかありません。
減った3尺を、どなたも手繰り出しておりません。
どこへ行ったかは、訊かずとも分かります。
わたしは、セイルさんの方を向きました。
この方は、机に紙を広げたまま、こちらを見ません。忙しいからではありませんでした。21年、同じ場所を彫ってきた指が、いま何も持っておりません。その手を、机の縁に置いたままにしておられます。
「セイルさん」
「……何だ」
「3本目の縄が、3尺短くなっております」
「そうか」
「理由を、ご存じですね?」
セイルさんは、答えませんでした。
答えない人の返事は、4年半でずいぶん見てまいりました。ゼノ様は、答えないときに別の用事を始めます。エリシア様は、結論を後ろへ回されます。この方は、手を机に置いたまま、指を1本も動かさないのだと分かりました。
わたしは、縄を巻いたまま、床に膝をつきました。
疲れたからではありません。こうすると、掌の位置が低くなって、縄の下がり方がよく見えます。3本目は、縁の口へ真っ直ぐ下りております。1本目と2本目は、少し斜めです。
真っ直ぐ下りている縄は、上がってくる予定の無い縄です。斜めの2本は、戻り代を持っております。
「セイルさん。あの方は、残るおつもりですか」
「私は、言うなと言われた」
「……では、言われたことを、そのまま仰ってください」
「上の娘に、まだ言うな。……そう言われた」
わたしは、掌の縄を強く握りました。
指の間から、また皮が剥けました。3年前に井戸で剥けたのと、同じ場所でございます。同じ場所ばかり剥けますので、あそこの皮は、もう元の柔らかさに戻りません。
その代わりに、力が入ります。硬い皮の方が、縄を噛みます。
「リィナ。……あんたが引いても、あの人は上がらない」
「引きます」
「縁に残る取り決めだ。上が呼び続けている間は、綴じられない。呼ばなくなったら、綴じられる」
「では、呼び続けます」
「何年だ」
その問いに、わたしは、すぐ答えられませんでした。
何年と、言える数が無かったのです。4年半前、王都の門で「頼む」と言われたときも、わたしは年数を訊かずに引き受けましたので、いつまでとは決めておりません。
「セイルさん。何年か、決めなくてよろしいですか」
「……好きにしろ」
「では、決めません」
灰色の縁から、光が上がってまいりました。
アステリアさんの明かりです。細くなって、また強くなって、また細くなります。細くなるのは、あの方が息を止めるのをやめたときです。泣いておられるのだと思いました。
その横で、ゼノ様の闇魔法が、縁の外側に回りました。いつもより、緩い回り方でございます。
闇魔法は、糸の形になりました。ゼノ様は、闇魔法で人を殺す方です。その力が、いま、縁を縫う糸になっております。4年半前、岩場であの方を初めて見たとき、壊す方の力で縫えるとは、思ってもおりませんでした。
わたしは、縄を掌に、もう一巻き足しました。
それから、縁の口へ声を落としました。
「ゼノ様」
返事は、ありませんでした。灰色の口から上がってくるのは、埃に似た冷たい風だけです。
「聞こえておられますね。……返事をなさらなくても、縄で分かります」
縄が、一度だけ緩んで、すぐに張りました。あれは、握り直した手の動きです。
「わたしは、3本とも巻いております。1本だけ離す方法は、まだ覚えておりません」




