第270話 3本まとめて巻いております
縄は、3本あります。
1本目がリディアさん、2本目がアステリアさん、3本目がゼノ様です。3本とも、わたしの左の掌に一度巻いて、右の掌で押さえております。巻き方は、3年前に井戸で覚えたものです。あのときは水の入った桶でしたので、重さが変わりませんでした。人を引く縄は、息をします。
吸うときに緩んで、吐くときに張ります。
半分入った方たちの重さが、縄を通して伝わってまいります。
ゼノ様の縄が、いちばん重うございます。身体のせいではありません。脇腹の穴が下へ引かれておりますので、その分が余計に掛かっております。アステリアさんの縄は、軽いのに、細かく震えます。リディアさんの縄は、動きません。あの方は、入ってから一度も身じろぎをしておられません。
3本の息が揃ったところで、後ろで、床が鳴りました。
床に、影が落ちました。翼の影が、6枚ございます。
わたしは、振り返りませんでした。礼を欠いたわけではありません。手が3本の縄で塞がっておりますので、上体を回すと、縄が捻れます。
「あなたが、引いている者ですか」
「はい」
「名を」
「リィナです」
男の声は、低くも高くもありませんでした。
ゼノ様の身内でもありませんのに、話し方の間の取り方が、ゼノ様に少し似ておられます。訊いてから、答えを待つ時間が短いところです。待たないのではなく、答えが出る前に次を考えておられます。
「リィナ。手を離しなさい」
「離しません」
「離さなければ、3人とも磨り減ります。縫う方は、失敗すれば、縁ごと落ちる」
「存じません」
わたしは、自分の返事に驚きました。
23の娘が、天界のいちばん上の方に「存じません」と申し上げました。そのとき、掌の皮が剥ける音がいたしました。聞こえるものではありません。それでも、聞こえた気がいたしました。
男が、2歩近づきました。足の運びに、音がありません。この方は、床を鳴らさずに歩けます。カイエルさんたちも、そうでした。
「では、言い方を変えます。あなたが引いていても、3人は上がれません」
「上がれます」
「なぜ、そう言えるのですか?」
「3年、引いてきました」
その答えで、男の足が止まりました。
納得なさったのではないと思います。数の話をしたつもりが、数でない答えが返ってきたので、置き場に困られたのです。ゼノ様も、たまに同じ止まり方をなさいます。
「3年。……その間、何を引いた」
「井戸の桶と、荷車と、あとは」
言いかけて、わたしは、口を閉じました。言いにくかったからではありません。1本目の縄が、そのとき、急に軽くなったのです。
リディアさんの縄でした。
軽い縄は、切れた縄と同じ手触りでございます。
わたしは、右の掌で1本目を手繰りました。重さが戻りました。縄の先が、さっきより1尺長うございました。あの方が、自分から1尺深く入られたのです。
「……リディアさん」
声は、届きません。そう分かっていて、わたしは呼びました。それから、1本目の縄を、掌にもう一度巻き直しました。巻き直すと、残りが短くなって、引ける長さが減ります。
それでも巻きました。緩んだ縄では、引けません。
男は、わたしの手元を見ておられました。それから、こう仰いました。
「あなたは、その3人のうち、誰のために引いている」
「3人のためです」
「1人だけ選べと言われたら?」
「選びません」
「なぜです?」
「3本まとめて巻いておりますので、1本だけ離す方法がありません」
男は、それきり何も仰らずに、わたしの横を通って、縫い目の縁の方へ行かれました。
翼は、上の2枚が短うございます。折れて生え直した形だと、ゼノ様が仰っていました。横を通られたときに見ますと、生え直した根元の羽が、他より白うございます。新しい羽は白い。人の髪とは、逆でございます。
縁の手前で屈んで、灰色の中を覗き込まれました。その格好が、23年前からそこにあるものを、初めて見る者の格好でした。
折れた上の翼が、一度だけ持ち上がって、また落ちました。
わたしは、縄を握ったまま、その背中を見ておりました。見ながら、掌の力を、少しずつ強くいたしました。




