第27話 水瓶
入学の手続きは、東の塔で行われた。11本のうち、いちばん古いものらしい。石が黒ずんでいる。階段の中央が、人の足で窪んでいた。何百年ぶんの足だ。通されたのは、長机の並んだ広間だった。既に人がいた。50人ほど。全員が俺と同じくらいの年格好で、全員が今日ここへ来た者だ。
そして、全員がこちらを見ていた。
「……あれか」
「ヴァリスの」
「宰相を落としたっていう」
「馬鹿を言え。ヴァリスの宰相は今も宰相だ」
「落としたのは王子の方だろ」
「どっちでもいい。近衛の副長を指1本で転がした男だ」
「人の頭の中を、天井に映したとか」
「それは尾ひれだ」
俺は長机の列に並んだ。噂というのは、速い。8日かけて馬車で来た俺より、先に着いている。エリシアが言っていた。人が多いところでは個が薄れる、と。あれは王都の話だ。ここは五大国から人が集まる。その連中は、国へ帰る。つまりこの街は、噂が薄まる場所ではなく、濃くなって外へ出ていく場所だった。
列の先で、係の者が名簿をつけていた。痩せた男だ。40くらい。羽根ペンの持ち方が、あの司書の爺さんと似ていた。
「名を」
「ゼノ」
「家名は」
「無い」
男の手が、止まった。
「……失礼。もう一度」
「無い」
「親を知らねえ。生まれた場所も知らねえ。名乗れる家が無い」
周りの話し声が、少し引いた。この広間にいる50人は、たぶん全員が家名を持っている。五大国から人が集まると聞いた。集まれる家の子だけが集まっている。
「……手続き上、記入が必要でございまして」
「王女殿下の口利きで来た。それじゃ足りねえか?」
「いえ。ですが」
「うるせえな! 無えもんは無えんだよ!」
「これ以上いちゃもんつける気なら——」
言い終える前に、抑えていた闇が少し漏れた。男の影が、窓とは逆の方へ、机1つ分伸びた。
「し——失礼いたしました!」
「では、空欄にしておきます!」
男は、羽根ペンを持ったまま動かなかった。それから、家名の欄に横線を1本引いた。線を引くという処理が用意されている。つまり、俺が最初ではない。
名簿の次は、支給だった。濃い灰の上衣と下衣。襟に銀の線が1本。それに、底の薄い靴。
「大学の内では、これをお召しいただきます。外套は各々のもので構いません。冬は、これだけでは足りませんので」
俺は受け取った布を、指で揉んでみた。村で最初に着せられた麻より、目が詰まっている。王宮で着せられたものより、軽い。
次は、測定だった。広間の奥に、腰までの高さの石が据えてあった。上面が磨いてある。手を置いて、魔力を流す。それだけの道具らしい。
「階位を測ります」
係の者が、石の横に立った。
「初級の方が大半でございます。中級であれば上位、上級であれば、この学年で数人でしょう」
「色で見るのか」
「はい。薄い黄が初級、白が中級、青が上級でございます」
「青の上は」
「ございません」
「この石は、上級までしか測れませんので」
俺の前に、6人並んでいた。1人目。石が薄く光った。「初級」。2人目。同じ。3人目、4人目、5人目。全員が初級だ。6人目で、石が白く光った。広間がざわめいた。
「中級」
その男は、少し胸を張って石から手を離した。
7人目が、列の横から割り込んだ。娘だった。背が高い。髪を短く刈り上げるように切っている。制服の上に外套を羽織っている。仕立てはいいが、袖が擦り切れるまで着込んである。
「順番でございます」
「知ってる。待つのが嫌なだけ」
娘が石に手を置いた。石が、白く光った。
「中級——」
「違う」
娘は係の者の言葉を途中で切った。
「わたしは上級だ」
「……は」
「その石、器しか測らないだろ。そんなので決めるなら……樽でも並べとけ」
「白でいい。白と書け。どうせ選抜で分かる」
俺の番だった。俺は石に手を置いた。
石が割れた。
音は、小さかった。上面に線が走って、それが床まで下りて、石が2つになった。片方が床に落ちて、そこでもう一度割れた。
広間が、静かになった。係の者が、羽根ペンを落とした。
「……あ」
「なんだ、こりゃ」
俺は自分の手を見た。何も流していない。陣も組んでいない。置いただけだ。
(——くだらねえ)
この国の物差しは、どれもこれも短すぎる。
「弁償か」
「い、いえ」
「……階位を、どう書けば」
「測れてねえだろ。そっちで決めろ」
◇
——わたくしは、ゼノ様の報せを講堂で聞きました。
前の席の上級生が振り返って、囁いたのでございます。測定石が割れた、家名の無い1年生だ、と。あの石は、この大学が建った年からございます。300年、5000の手を受けて、罅ひとつ入っておりません。わたくしも2年前に手を置きました。冷たい石でございました。
笑ってしまいました。講義の最中に、声を出して。
講師に睨まれて、わたくしは詫びましたが、口元がまだ戻りませんでした。周りの方々には、ヴァリスの王女が気でも触れたように見えたことでございましょう。
「あの石が……割れた……」
「どこの家だ」
「家名が無いと言っていたぞ」
「——待て」
声がした。列の後ろからだった。
俺は振り返った。若い男が立っていた。18か、19。制服の上に、仕立てのいい外套。顎が上がっている。
見た顔だった。
「その石は、元から罅が入っていた」
「わたしが前に測ったときは、正しく出た。300年もった石が、今日に限って割れるものか」
「よう。宰相の坊ちゃんか」
ヴィントの顔が、赤くなった。最後に見たのは、大広間だった。父親に「黙っていろ」と一言で潰されて、赤くなって、それから白くなった。
「ヴィント・ダリオンだ」
「ここでは、そう名乗っている」
「ヴィント。あんた、何級だ?」
「……上級だ」
答えてから、ヴィントは外套の襟を指で一度つまんだ。
「同じか」
「同じではない」
「わたしは上級魔法が使える。石を割ったからといって、陣が組めるとは限らん。器が大きいだけの者を、この大学では水瓶と呼ぶ。水は入るが、何も撃てん」
正しい。器と技術は別だ。魔力量が多くても、組めなければ何も撃てない。この広間で、それを言えたのは2人目だ。
「読み違えてたな、ヴィント。親父の横で赤くなってるだけの坊ちゃんだと思ってた」
「——父は関係ない!」
声が裏返った。広間の何人かが、笑いを噛み殺した。
ヴィントは何か言い足そうとして、言葉を探して、見つからずに口を閉じた。それから、背を向けて広間を出て行った。窪んだ階段で、足音が一度乱れた。
入れ替わりに、さっきの娘が俺の横に立った。背が高い。俺と目の高さが、ほとんど変わらない。
「あんた、何も流さなかったな」
俺は、娘を見た。
「見てたのか」
「見てた」
「わたしは全部流した。それで白だ。あんたは置いただけで割った。——腹が立つ」
「そうか」
「腹が立つと言ってる」
「聞こえてる」
娘は、俺を睨んでいた。睨むのが、上手かった。この半年で俺を正面から睨めたのは、あの岩場のエリシアくらいだ。
「名は」
「ユーリカ」
「家名は」
娘は、そこで初めて言い淀んだ。
「……メルセアから来た」
家名を答えなかった。俺と同じだ。理由は、たぶん逆だが。
係の者が、羽根ペンを拾っていた。
「あの」
「なんだ」
「ヴィント様は、今年の首席候補でございます」
男は声を落とした。
「学内選抜の代表も、あの方で決まりだと」
「選抜?」
「……ご存じないのですか」
俺は知らなかった。だが、その顔を見て、ひとつ分かったことがある。
男は、俺が知らないと知って、《《ほっとした》》顔をした。




