第265話 拾わない者の数
その紙を最初に掴んだのは、11の娘でございました。
ラセルの近くの、拳2つ分の穴でございます。11年前に鍛冶の者が開けてから空いたままで、こちらの界と人間界を繋いでおります。ミトは、毎朝そこへ来て、穴の縁に手を入れる癖がついておりました。その手が、今朝は何かに当たったそうでございます。
「ヴェルナさま。紙です」
「どちらから」
「分かりません。……でも、上からです」
「なぜ、上と分かるのですか?」
「引っ張ったら、上へ引き返されました」
わたしは、その紙を、灯りの下で開きました。
端が焦げております。縁の繊維が、切れずに丸まっておりました。こういう焦げ方をするのは、界を越えるときに縁が擦れた紙だけでございます。字は、8文字だけでした。
——道を作れ。俺は通る。
わたしは、その8文字を、3度読みました。
意味が分からなかったのではございません。命令の形をしているのに、どこへとも、いつまでとも書いてございません。21年、この方の命令には、必ず行き先がございました。ミトが、わたしの手元を覗きました。
字の並びを、指でなぞっております。この娘は、去年から字を習っておりますので、下手な字ほどよく読めます。
「これ、ゼノさまの字です」
「よく分かりますね」
「はい。……『通』が、逆さまになりかけています」
わたしは、紙を畳んで、丘を下りました。
下に、1400の天幕がございます。その外に、錨の縄を握った者たちが、まだ半日ずつ交代で座っております。どの掌も、みな同じ場所で割れております。
「ザルカ」
「おう」
「北の峠の、柱のことですが」
「あれか。……登るだけで3日かかるやつだな」
「2日で登れますか」
「登れるかと訊かれたら、登れる。……馬が2頭死ぬ」
わたしは、すぐに次を言いませんでした。
この男は、去年まで「登ります」としか言いませんでした。馬の勘定を口に出すようになったのは、我が君が理由を訊かなくなってからでございました。
「2頭で済むなら、お願いいたします」
「済むとは言っとらん」
「……では、何頭ですか」
「行ってみんと分からん」
グランが、そこへ割り込んでまいりました。
この男は、話の途中に入る癖がございます。入ってから、用件を思い出す順番も、いつもと同じでございました。
「ヴェルナ。……南の谷の方は、俺が行くんだよな」
「そのつもりでございます」
「なら、ラントを借りるぞ。俺は、地図が読めん」
その言い方に、わたしは、次の言葉が少し遅れました。
21年、この界の将は、読めないことを人前で言いませんでした。言えば、下の者に食われるからでございます。グランは、3年で、食われない場所の見つけ方を覚えたようでございました。
「ラントは、お貸しできません」
「なんでだ」
「あの者は、名簿を書いております。……代わりに、ミトをお連れください」
「11の娘をか?」
「地図の字が読めます。あなた様より、よほど」
日が落ちてから、天幕の外に、もう1人まいりました。
ドレクでございます。生き残りの312人の頭で、去年まで、我が君の首を狙っていた者でございました。わたしが拾わないと申し上げた相手でもございます。痩せた男で、左の頬に古い切り傷がございます。
「ヴェルナ殿。……北の峠、人手が要ると聞いた」
「要ります」
「312人、貸す」
「見返りは」
「食い物と、あとは」
男は、言葉を止めて、潰れた方の耳を掻きました。
掻きながら、地面の方を見て、続けました。
「……あんたに、拾わんと言われた。あれを、取り消してほしいんじゃない。取り消されたら、俺たちは、また誰かの下だ」
「では、何をお望みですか?」
「数えてくれ。北の峠で、何人減ったかを」
わたしは、帳面を開きました。
その場で、312と書きました。横に、日付を入れました。後で、減った数を書き込むためでございます。書いているところを、男は、最後まで見ておりました。




