第263話 道を作れ。俺は通る
工房の外に、翼が並び始めたのは、夕方だった。
天界に、夕方は無い。明かりが弱くならない。それでも夕方だと分かった。セイルが灯りを1つ灯した。21年、この男は同じ刻限にそれを灯してきた。その手が、外の音で止まった。
「……来たな」
「何人だ」
「数えていない。……ザリエル様は、来ない」
「来ねえのか?」
「来ない。あの方は、決めたら、あとは人にやらせる」
俺は、窓の無い壁に手を当てた。
掌で、外の重さを測った。翼は軽い。そういうものが床の上に並ぶと、床が別の鳴り方をする。その鳴り方で、だいたいの数が分かる。60以上だ。
「セイル。縫うのに、どれだけかかる」
「準備に、丸1日」
「その間、ここは保つか」
「保たない。……この部屋は、ザリエル様が私に与えたものだ」
「じゃあ、外から閉められるな」
「閉められる」
俺は、テオを見た。
17の少年が、いちばん低い机の横に座っている。両手を膝の上に置いて、さっきから動かさない。震えを止めようとしている。
「テオ」
「……はい」
「穴、開けられるか」
「1尺なら」
「どこへ開けられる」
「行ったことのある場所です。……ラセルと、ローデン砦と、あとは」
少年が、そこで、言い淀んだ。
3つ目は、自信の無い場所だ。それでも、口に出そうとしている。
「あとは、麦の村です。……去年、リディア様に連れていってもらいました」
俺は、初めて椅子を探した。
この工房には、椅子が1つも無い。いちばん高い机に肘をついて、紙を出せと言った。セイルが、紙を3枚出した。
俺は、字を書いた。
3年前、人間界で覚えた字だ。書くのは、下手だ。ミトの方が、たぶん上手い。それでも、読める形にはなる。3枚とも、同じことを書いた。
——道を作れ。俺は通る。
「これだけですか」
テオが、覗き込んで言った。
「これだけだ」
「……どこへ、とは書かないのですか?」
「書いたら、そこに来る。……道は、あいつらが決めた方が早い」
少年は、3枚を並べて、掌を上に向けた。
その上に、陣が出た。1枚。2枚。3枚目で、指が痙攣した。それでも、3枚目を組み切った。穴が、1尺開いた。
向こう側が、暗い。
人間界のローデン砦は、いま夜だ。開いた穴の縁に、テオが紙を1枚差し入れた。手が、肘まで入った。その先で、誰かが紙を受け取った。
「……取られました」
「誰にだ」
「分かりません。手が、冷たかったです」
手が冷たいのは、リィナの家系の話ではない。人間界の砦で、夜に見張りに立つ者の手は、みな冷たい。3年前、俺の手も冷たかった。2枚目は、麦の村へ入った。
3枚目を差し入れるとき、テオの膝が落ちた。
リディアが横から支えて、自分の右手を、少年の手の上に重ねた。その手の小指が、無い。無い分、掌が少年の掌に平たく当たった。
「テオ。1尺のまま、崩さないで」
「……はい」
「あんたが開けたものだ。わたしのじゃない」
3枚目は、魔界の、ラセルの近くの穴へ入った。
向こうで、何かが引っ張り返してきた。子供の手だ。小さい。テオが、その手を一度握って、離してから、穴を閉じた。
外の音が、そこで変わった。
並んでいた翼が、動き始めた。揃っている。押し込む前の形だ。押し込む者は、先に一度、下がる。その分だけ、壁が軽くなった。
「ゼノ様」
リィナが、剣を抜いた。
「1日、保たせればよろしいのですね」
「丸1日だ」
「……長いですね」
「長え」
俺は、そう答えてから、掌を開いた。
6枚だ。脇腹が、まだ下へ引いている。下からの引きは、戦っている間じゅう続く。なら、計算に入れておけばいい。




