第262話 100年かけて、1尺
セイル様の部屋は、机が7つありました。
7つとも、高さが違います。低いものは膝までしかありません。高いものは、わたしの胸より上です。使う道具の大きさで、机を変えておられるのだと思います。どの机にも、椅子がありませんでした。
「縫うには、3人要る」
セイル様が、いちばん低い机の上に、糸のようなものを並べられました。
「天界の魂が1つ。魔界の魂が1つ。人間界の魂が1つ。……3つとも、術を通す者でなければ意味が無い」
「術を通す、とは?」
「次元を畳める者だ。……縁を持てない者は、縫えない」
わたしは、床の方を見たまま、聞いておりました。
見ていたのは、自分の靴です。3年、同じものを履いております。踵が、右の外側だけ減っています。ゼノ様と、同じ減り方です。
「天界は、わたしです」
アステリアさんが、そう仰いました。
「魔界は、ゼノです。……人間界は」
「わたしです」
リディア様が、手を挙げられました。
その手の、小指がありません。
若いころ、次元の穴を開けさせられるうちに無くされたと伺っております。この方は、指が1本無いまま、次元の穴を開けられます。わたしには、開けられません。
「リディア様」
わたしは、そう呼びかけました。
次に言うことは、まだ決めておりませんでした。それなのに、口が動きました。
「……危ないですか、それは」
「危ないです」
「どのくらいですか?」
「縫っている間、3人とも、狭間の側に半分入ります。半分入った者が戻れるかどうかは、誰も試していません」
「では、戻れないかもしれないのですね?」
「はい」
わたしは、剣の柄に手を掛けました。
意味はありません。斬る相手がおりません。手の置き場が無くなるのは、初めてではありませんでした。
「わたしが、行きます」
言ってしまいました。
「人間界の者なら、わたしも人間です」
リディア様は、笑わずに、わたしの右手を見られました。それから、こう仰いました。
「リィナ。次元の縁は、握るものじゃない。……開けるものだ」
「開け方を、教えてください」
「200年かかる」
「3年で、剣は覚えました」
「わたしの一族が、200年かけて覚えたことだ」
わたしは、何も言えなくなりました。
負けたからではありません。この方が、わたしを子供扱いなさらなかったのです。子供扱いされていれば、まだ言い返せました。数を出されると、言い返せません。ゼノ様が、こちらへ来られました。
わたしの横に立って、少し黙られてから、こう仰いました。
「あんたは、上で引く方だ」
わたしは、顔を上げて、ゼノ様を見ました。
この方は、たぶん、良いことを仰ったつもりでおられます。魔界で、わたしは半日引きました。この方は、それを覚えておられて、いま、また同じことを仰いました。
「……それは、もう聞きました」
「あぁ」
「上へ行くときも、そう仰いました」
「言った。……あのときも、あんたが一番前だった」
「今度も、下ですか?」
ゼノ様は、答えられませんでした。
代わりに、脇腹を押さえられました。痛むのは、たぶん、わたしのせいではありません。それでも、わたしは、言うのをやめられませんでした。
「わたしは、3年、下で引いておりました」
「知ってる。……掌を見りゃ分かる」
「引く者が要るのは、分かります。……ですが、あの」
そこで、声が詰まりました。
次に言おうとしたことは、言ってはいけないことでした。そう分かっているのに、口の形が、もうできておりました。
「——わたしも、一緒に、半分入りたいです」
部屋が、静かになりました。
アステリアさんが、翼を少し動かされました。リディア様は、机の糸を見ておられます。セイル様だけが、こちらを見ておられました。ゼノ様は、わたしの頭に手を置かれませんでした。
代わりに、こう仰いました。
「……縫うのは、俺たちだ。だが、縫ってる間、誰かが上で縄を握ってねえと、3人とも戻れねえ」
「それは、慰めですか?」
「違う。……頼んでる」
わたしは、その言い方に、まだ納得はしておりませんでしたが、断りませんでした。
この方が「頼む」と仰ったからです。4年半前、王都の門で、初めてそう言われました。あのときも、わたしは、断りませんでした。




