第261話 縫う方と、支える方
「断る」
俺が言うと、男は驚かなかった。
机の方へ戻り、置いた筆をもう一度取った。書くためではない。手に何か持っていないと、話ができない者の持ち方だ。
「理由を、聞かせてもらえるか」
「支えが要るってのは、誰が決めた?」
男の手が、止まった。
「……決めた者はいない。狭間は、そういうものだ」
「見たのか?」
「見た」
「見て、支えを入れたのか。それとも、入れてから、そういうものだってことにしたのか」
答えが、返ってこなかった。
考えている。21年前、この男は、俺を調べずに選んだ。調べない者は、他のことも調べていない。それなのに、23年、妻を1人置いている。
「セイル」
「何だ」
「狭間を、塞いだ奴はいるか」
「いない」
「塞ごうとした奴は?」
セイルの、焼けた指が、袖の外へ出た。
「……1人。23年前に、一度だけ」
俺は、机の方を見た。
男の顔から、血の気が引いていた。引き方が速い。この男にとって、いま初めて聞いた話ではない。聞いたことがあって、それを、23年考えないようにしてきた顔だ。
「誰だ」
「セレスティア様だ」
「支えに入る前に、塞ごうとされた」
セイルが、そう言った。
「必要なのは3人だと、仰っていた。……天界の者、魔界の者、人間界の者。3つの界の魂で、縁を縫う」
「縫えたのか?」
「揃わなかった。……魔界の者が、間に合わなかった」
21年前の日付を数えた。セレスティアが狭間へ入ったのが23年前。俺が天界へ挨拶に来たのが21年前。2年、遅かった。
「あんた、それを知ってたな」
俺は、男に向き直った。
「知ってて、俺を落とした。……縫う方じゃなく、支える方に使った」
「……縫う方は、失敗すれば全部落ちる」
「支える方は、確実に1人死ぬ」
「1人で済む」
俺は、掌を開いた。
6枚だ。その瞬間に、部屋の明かりが、初めて揺れた。この部屋は、明かりの出所が無い。部屋そのものが、術でできている。なら、壊せる。
「1人で済む、で21年やってきた奴が」
俺は、掌を閉じなかった。
「俺の身体を21年使い回して、人間界に202人数えさせて、下の村を4202行に入れた」
「それは、私ではない」
「あんたの下だろうが」
男が、翼を開いた。
6枚だ。上の2枚は、折れているせいで、開き切らない。そのまま、床の灰色が、内側から持ち上がった。
天級だ。俺の6枚とは、組み方の系統が違う。先に来たのは、床だった。
足元の灰色が、俺の膝まで一気に上がってきた。砂ではなかった。もっと重い。それが膝のところで固まりかける前に、俺は3枚を下へ落とした。
その3枚で、足元を割った。
隙間から、下が見えた。黒くない。白くもない。色が無い。そういうものを、俺は初めて見た。途端に、脇腹が痛んだ。
引かれている。
自分の身体が闇魔法で開けた穴に、下から手を入れられたような引かれ方だ。3か月、塞がらなかった穴だ。傷ではないからだと思っていた。
違った。開けてあったのだ。
「あんた、俺の脇腹に」
「……私ではない」
「じゃあ、誰が開けた?」
「あなた自身の身体だ。……上に置いてあった方の」
俺は、そこで膝をついた。
膝が、灰色に沈んだ。沈んだ分だけ、下から引かれた。引き方が、丁寧だった。乱暴に引けば、魂が欠けて、支えにならない。こいつは、俺を壊さないように落とそうとしている。
「ゼノ様」
リィナの声がした。
近い。近すぎる。この娘は、灰色の上を走ってきている。走れば沈むのに、走っている。沈みながら走る形は、3年前、泥の畦道で見た。腕を掴まれた。
「引きます」
「馬鹿、離せ」
「引きます」
「あんたも落ちるぞ」
「錨は、慣れました」
もう1本、腕が来た。
翼の方だ。アステリアが、右の翼を開いて、俺の肩の下へ入れた。その翼が、今日も、きちんと開いていた。2人分の重さが、俺の上に乗った。
引かれる力が、そこで、一瞬緩んだ。
下は、3人分を引く用意をしていなかった。足りない分は、すぐには足せない。その間に、俺は床の縁へ手を掛けた。




