↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
259/300

第259話 すまなかった

下りは、階段(かいだん)ではなかった。


床が、ゆるく傾いているだけだ。その傾きが、歩いているうちに強くなっても、足の裏の摩擦が消えない。滑らせない作りは、上の回廊と同じだった。灰色が、濃くなっていった。突き当たりに、部屋が1つあった。


扉が無い。壁の途中が、そのまま四角く開いている。その内側が明るいのに、出所は、やはり無い。中に、机が1つ置いてあった。


椅子は無かった。作業用の机だ。


天板が、傾(かたむ)けてある。紙を置いて書くための角度だ。その前に、男が1人、立ったまま書き物をしていた。


背が高い。俺と同じくらいだ。翼が、6枚あった。


上の2枚が、他の4枚より短い。折れて、生え直した形だ。折れた跡を残したままの者を、俺は初めて見た。俺の後ろで、アステリアの足が止まった。


「……父上」


男が、顔を上げた。


その顔に、驚きが無い。来ると分かっていた顔だ。それでいて迎えには出ずに、ここで書いていた。その書き物を、伏せもしなかった。


「アステリア。……櫛を、持っているな」


「はい」


「母さんのだ」


「存じております」


「そうか」


男は、そこで俺を見て、筆を置いた。


筆は、天板の溝に、転(ころ)がらずに収まった。置く場所が決まっている机だ。


「ヴァルゼード」


「その名は、3年前に捨てた」


「では、何と呼べばいい」


「ゼノだ」


「ゼノ」


男が、その名を一度、繰り返した。


机の前を離れて、こちらへ2歩来て、止まった。残りは、5歩だ。手を伸ばして届く距離ではない。その距離のまま、頭を下げた。



「——すまなかった」


俺は、聞き違えたと思った。


21年、この場面を何度も頭の中でやってきた。どの回でも、相手は言い訳をした。返す言葉も順番も、俺は全部考えてあった。それが、1つも使えなくなった。



「……もう一度、言え」


「すまなかった。あなたを、調べずに選んだ」


「調べずに?」


「危険な大悪魔だと聞いていた。……犠牲にしても、誰も困らないと思っていた」


俺は、手が上がらなかった。


許したからではなかった。翼の折れた男の言い方に、嘘(うそ)を探す隙が無かった。嘘をつく者は、言い終わりを長くする。この男は短く終えて、それから、こう続けた。



「——それで、もう一度、入ってもらいたい」


アステリアが、声を上げた。


その声が、言葉になっていなかった。「あ」でも「え」でもない、息が喉(のど)で潰れた音だ。アステリアが、こんな声を出すのを、俺は初めて聞いた。俺の横で、リィナが剣に手を掛けた。



俺は、片手でそれを止めた。


話が終わっていない。父親の方は、まだ理由を言っていない。詫びて、要求だけ出した。


「あんた、いま詫びたな」


「詫びた」


「詫びた相手に、同じことを頼むのか?」


「頼む」


折れた上の翼が、一度だけ持ち上がって、また落ちた。


「なんでだ」


「他に、魔級(まきゅう)の魂が無い」


俺は、その答えを、正面から受けた。


腹の底が、冷たくなった。怒ったからではない。アステリアの父が、21年前と同じ計算を、今日も1つも変えていないと分かった。詫びたのは、計算の外の話だった。



「セレスティアは、23年支えている」


男が、そう言った。


「もう保たない。……支えが磨り減ると、狭間が広がる。広がれば、3つとも落ちる」


「だから、俺を入れるのか」


「入れる。……代わりに、あなたの望むものを、何でも」


俺は、初めて笑った。


相手が、俺に取引を持ちかけてきた。21年、俺は取引の言葉で物を考えてきた。借りと返済で、人を数えてきた。同じ言葉を、6枚翼の方が使った。



「あんた、いま、俺と同じ喋り方をしたな」


「……何の話だ」


「借りを作って、返す話だ。……俺は、それしか知らねえ男だった」


「では、話が早い」


「早くねえよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。