第254話 影のない床
影が無いと、相手の動き出しが読めません。
わたしは、3年、影で読んでまいりました。人は動く前に、足の影が踵から離れます。その瞬間に前へ出れば、たいてい間に合います。この回廊では、それが使えません。
正規軍が、12人。
奥の角から出てまいりました。翼は、みな2枚です。カイエルという方だけが4枚でした。4枚は、位が上なのだと思います。先頭の1人が、槍を水平に構えました。
「ゼノ様。ここは、わたしが」
「通せ」
ゼノ様は、奥の角を見たまま、そう仰いました。
「……通す、でございますか?」
「12人だ。あんたなら、8人まで抜ける」
「残りの4人は」
「そいつらは、俺の用事だ」
わたしは、剣を抜いてから、床に片手を突きました。
支えるためではありません。この床が、どのくらい音を返すかを確かめるためです。指の腹で叩くと、高い音が返りました。硬い床です。
こういう床は、足音をよく通します。影が読めなくとも、音は出ます。天使の方々は、たぶん、自分の足音を聞かれたことがなく、消し方をご存じありません。わたしは、目を閉じました。
1呼吸だけです。その間に、前から2つ、右から1つ、音が来ました。前の2つは重い。右の1つは軽い。軽い方が、先に届きます。わたしは、右へ出ました。右の槍を、根元で叩きました。
穂先ではありません。持ち手の、後ろの端です。そこを叩くと、前の重い2人の間に、槍が転がります。その槍を、2人が同時に跨ぎました。跨いだ瞬間が、いちばん動けません。2人の膝の裏を、柄で打ちました。
打ち方は、ゼノ様に教わったものではありません。ローデン砦で、グレイグ様に教わりました。あの方は、3年前に亡くなっております。
4人目が、翼を開くなり、天井へ上がりました。
上から来られると、こちらは上を向くことになり、喉が出ます。わたしは、上を向かずに、前へ走りました。
5人目の懐です。天井の方は、降りてくるまでに、必ず3拍かかります。3拍あれば、2人片付きます。5人目の肩を、峰で押して、壁へ運びました。
壁に当たった音で、6人目が止まりました。
味方が壁に当たる音を、聞いたことがなかったのだと思います。この方々は、たぶん、負けたことがありません。そういう者は、味方の音に弱いです。
8人目のところで、息が上がりました。
苦しいのは、脇腹ではありません。項です。3年前から、項に線が入っております。引いた痕が、走ると熱くなります。
「リィナ」
後ろから、声が来ました。
ゼノ様です。近づいてはおられません。9人目と10人目の間に、闇魔法が1つ、横に入って、2人の足を止めました。
それだけで、倒してはおられません。
「残り4人は、俺だ」
「……はい」
「8人、抜けたな」
「7人です」
ゼノ様が、そこで初めてこちらを見られました。
「7人か」
「1人、逃げました。……追えませんでした」
ゼノ様は、それを聞いても、追えとは仰らず、残りの4人の方へ歩いていかれました。
急いてはおられません。脇腹を庇っておられるので、左の肩が少し下がっています。その肩のまま、掌を開かれました。
6枚です。
陣が出た瞬間に、4人のうち3人が、翼を畳みました。降参ではありません。翼は、開いていると的が大きくなります。畳んで、それでも前へ出ました。
わたしは、その3人の顔を見て、少し驚きました。
怖がっておられます。それなのに、前へ出る方々です。21年前、この回廊で、ゼノ様の後ろに立っていたのも、こういう方々だったのだと思いました。
戦いは、すぐに終わりました。
ゼノ様は、3人を壁へ寄せて、意識だけ落とされました。4人目——いちばん後ろにいた方だけは落とさずに、名を訊いておられました。
「あんた、名は」
「……申し上げる義理はありません」
「無えな」
「はい」
「なら、覚えねえ」
その方は、そこで、少し困った顔をされました。
たぶん、名乗らないことを咎められると思っておられたのです。それが無かったので、次に言うことが無くなったのだと思います。わたしにも、覚えのある顔でした。
わたしは3年前、ゼノ様が来ないことに腹を立てておりました。今日は、来ないでくださって、助かりました。




