第253話 行方の知れない品
床は、21年前と同じ硬さだった。
足の裏で分かる。磨いてあるのに、滑らない。立たされる者のために作られた床だ。立たされた者が逃げないよう、摩擦だけは残してある。柱が、38本。数えたのは、俺ではない。
アステリアが、通り抜けた瞬間から口の中で数え、終わってからこう言った。
「……1本も、増えていません」
「21年、何も作らなかったってことか」
「はい。ここは、作る場所ではありませんので」
穴は、通り終えた瞬間に壊れた。
その跡にリディアが手を突っ込んで、縁の欠けを指で均し、テオの方を振り返った。
「テオ。今の形、覚えた?」
「……たぶん」
「たぶんじゃ困る。帰りは、あんたが開ける」
俺は、その遣り取りを背中で聞きながら、回廊の奥を見ていた。
奥が明るいのに、光の出所が無い。壁も天井も、同じだけ白い。影が、1つも落ちていなかった。俺の影も、無い。
リィナが、自分の足元を見てから、剣の柄に手を掛けた。掛けたことに自分で気づいて、少し手を離した。
「ゼノ様。ここは、影が」
「無えな」
「……戦いにくいです」
奥から、足音が来た。
1人分だ。歩幅が狭いのに、速い。裾の長いものを着ている者の歩き方だ。21年前、俺の後ろに立っていた連中と、同じ歩き方だった。出てきたのは、女だった。白い髪を、きつく編んである。
編み目が、額の生え際から始まっている。緩みが1つも無い。緩ませない編み方は、自分でやると時間がかかる。誰かにやらせているか、毎朝、同じだけかけているかだ。翼は、4枚あった。
「アステリア様」
女が、そう言った。
「21年と3か月です。……お迎えに上がるのが遅れましたことを、お詫びいたします」
アステリアが、俺の後ろへ半歩下がった。
怯えたのではない。翼を畳もうとして、畳む場所を探している。この娘は、居心地が悪くなると、翼を小さくする。その翼を、俺は横目で見た。
「カイエル」
アステリアが、その名を呼んだ。
「わたしは、戻りません」
「戻る戻らないの話は、しておりません」
「では、何の話ですか?」
「まだ、教え終えていない話です」
俺は、一歩前へ出た。
この女の言い方は、俺の知っている型だ。21年前、俺を落とした連中も、同じ組み立てで喋った。断らせない。断る場所を、文の中に作らない。
「あんた、何を教える係だ」
「カイエルと申します。アステリア様の教育係です」
「21年、教える相手がいなかったな」
「おりました。……お戻りになる前提で、毎日、支度をしておりました」
その答えに、次の言葉が遅れた。
この女は、21年、誰もいない部屋の支度をし続けた側だった。だからといって、こっちの用事は変わらないが、話の順番は変わる。
「21年、何を支度してた」
「お部屋の支度。朝の支度。……それから、授業の支度です」
「毎日か?」
「毎日です」
アステリアが、俺の後ろで息を吸った。
吐き方が、細かった。この娘は、泣きそうになると、先に呼吸が短くなる。
「……カイエル。わたし、麦を食べました」
「存じません」
「6日前です。3粒だけ。……初めて、自分で口に入れました」
「それは、報告するものではありません」
「報告ではありません」
アステリアが、そこで、初めて声を張った。
「教わっていないことを、わたしが1つ、自分で覚えたという話です」
カイエルの編み目が、動かなかった。
表情も動かない。それなのに、翼の4枚のうち、いちばん下の1枚だけが、半寸ほど下がった。この女は、翼で怒る。
「アステリア様。そちらの方は、品です」
女が、俺を指した。
「21年前、9番目の棚に掛けられた品です。出庫の証が揃っておりません。……証の揃わぬ品を、外へ出してはなりません」
俺は、そこで笑った。
この言い分は、俺が3年前に自分で使ったものだ。証は7つ揃っていない。だから俺は出庫されていないし、出庫されていない品は、まだ棚の中にある。
「棚は、崩したぞ」
「存じております」
「なら、俺は何だ」
「行方の知れない品です。……探すのが、私どもの仕事です」
21年経って初めて、俺は、自分が紛失物として扱われているのを知った。




