第252話 1尺の穴
リディアは、砦の門を潜るなり、俺の脇腹を見た。
何も言わずに、手を伸ばしてきた。その右手に、小指が無い。棚に入れられていた4年の、最初に減った指だ。手は、外套の裂け目の1寸手前で止まった。
「触れないね、これ」
「触るな」
「触らない。……触ると、わたしの指が、あと1本減る」
3年で、髪が伸びていた。
前は、自分で切って不揃いだった。いまは、後ろで1つに縛ってある。この女が自分で決めたことではないだろう。後ろから、少年が1人ついてきていた。
「テオか」
「……はい」
「でかくなったな」
「17になりました」
3年前は14で、網を引く掌をしていた。
いまは、指の腹に別の胼胝がある。羽根ペンの胼胝だ。掌の厚い方は残っている。両方ある者は、あまりいない。
「11人は、どうしてる」
「9人は、ラセルで漁を。……2人は、わたしと一緒に来ました」
「来させたのか?」
「いえ。……ついてきました」
俺は、地下へ降りた。
境界標の前にリディアが屈み、石の欠けた縁に指を当てた。そのまま長いこと動かないので、俺は待った。
「ゼノ」
「なんだ」
「この石、あんたの座標が焼きついてる。焼きついてるのは、《《入ってきた》》方向だ」
「出る方には、使えねえってことか?」
「使える。……ただ、出た先が、あんたが入ってきた場所になる」
俺が入ってきた場所は、砂だ。
砂は、崩れた。そこへ出れば、足の下に何も無い。落ちる先が、下とは限らない。
「別の座標が要るな」
「要る。……持ってる?」
俺は、懐から頁を3枚出して、リディアの前に並べた。
紙の上を、この女の指が、1行ずつ辿った。2枚目の頁で、その速さが落ちた。
「これ、読まないで」
「なんでだ」
「読むと、行き先が決まる。……決まったら、他の場所へは行けない」
「1枚目は、もう読んだ」
「なら、1枚目は使えない」
俺は、2枚目を伏せた。
それを見て、アステリアが横から手を出した。3枚目を取り、自分の顔の前に持ち上げた。
「あなた。これは、わたしが読みます」
「あんたが読んだら、あんたの行き先になるぞ」
「はい」
「戻れる保証は無え」
「わたしは、21年前に、戻る場所を1度失っています」
止めなかった。この娘は、俺に許可を求めていない。なら、口を出す用は無い。アステリアが紙を読むなり、翼が開いた。
右も左も、いっぱいにだ。翼の先が地下の天井に当たって、埃を落とした。その埃の中で、この娘の目が、白くなっていた。
「……見えます」
「何がだ」
「白い回廊です。……21年前のままです」
「そこが3枚目か」
「はい。……わたしが、待たされていた場所です」
リディアが立ち上がって、掌を境界標に当てた。
手の周りに、陣が出た。1枚、2枚。3枚目で止まった。上級だ。この女の陣は、3年経っても、それ以上は出ない。俺が後ろから手を重ねた。
「知識はあんた、魔力は俺だ。……3年前と同じだな」
「はい。……ただ、1つ違います」
「何がだ」
「3年前は、あなたが、わたしを信用していませんでした」
俺は、それに返事をしなかった。
返事の代わりに、6枚を重ねた。その先で、リディアの3枚が、俺の層の3枚目に噛み合った。そこから、穴が開いた。
1尺だ。この女の穴は、いつも1尺しか開かない。
「1尺で、人が通れるのか」
「通れません。……ですので、広げるのはあなたです」
「俺が広げると、壊れるぞ」
「壊してください。壊れる前に、全員通ります」
穴の向こうに、白があった。
砂ではない。床だ。磨いてある。21年前、俺が立たされた場所の床だ。
今度は、立たされに来たんじゃねえ。




