第248話 上の分の帳面
灰色の砂は、4日降って、止んだ。
積もった厚さが、指2本分だ。村の屋根にも、畑にも、同じだけ積もった。ドランが、それを掬って、指で揉むと、粉になって落ちた。
「肥やしにゃならん」
「食えもしねえな」
「畑に混ぜてみる。……駄目なら、どける」
俺は、畑を見た。
3日前まで、この男は、何かを決めるたびに俺の顔を見た。今日は見ずに、鍬を土に入れた。
刃が、いつもより浅い。砂の層を、下の土と混ぜない引き方だ。
脇腹は、まだ塞がっていない。
傷ではない。闇魔法が中に残っている。時間が経てば抜けるとネフィスが言ったが、その時間の長さは、ネフィスも知らない。
歩ける。走ると、咳が出る。
「我が主」
「なんだ」
「書きましてございます」
「日付か」
「はい。……お戻りになった日で」
俺は、帳面を受け取って、開いた。今日の行に、日付が1つある。その下に、空の行が1行。空けとけと言ったやつだ。
ネフィスは、そこに何も書いていなかった。
「これは、いつ埋める?」
「我が主が、お決めになる日かと存じます」
「決めてねえぞ」
「では、空けたままにいたします」
村の外れで、馬の音がした。
3頭だ。1頭は、ヴィントが持って出た栗毛だ。残り2頭が、知らない馬だった。鞍が、人間界の、南の作りだった。
「ゼノ様」
火魔法の男が、馬から雑に降りた。片足を抜く前に飛んでいる。3年前と同じ降り方だ。この男は、急いでいるときだけ、昔に戻る。
「穴は、通れました。……それで、向こうから」
「誰が来た?」
「ローデンの、砦の方です」
2頭目から降りたのは、若い騎士だった。
兜を脇に抱えている。慣れていない。腕が、左だけ太い。盾を持ち続けた腕だ。
顔を見て、俺は、こいつを知らないと分かった。
「魔王ゼノ殿で、いらっしゃいますか?」
「そう呼ぶのを、誰に習った」
「エリシア様に」
「……あの女か」
騎士が、革の筒を差し出した。
中に、紙が1枚入っている。開くと、字が細かい。それなのに、行が真っ直ぐだ。線を引かずに真っ直ぐ書ける者は、紙を大量に使ってきた者だ。
エリシアの字だった。
——聖国は、23年分の名簿を公開いたしました。
——正典騎士80名のうち、47名が、23年前の202名に含まれておりました。
——神託の出所につきましては、6か国の使節が立ち会っております。
——ゼノ様。こちらは、こちらで終いまで参ります。
俺は、そこまで読んで、紙を下ろした。
最後の1行が、報告ではなかった。報告なら、数を書く。この女は、3年、数を書く女だった。
「返事は、いかがなさいますか?」
「要らねえ」
「……はい」
「いや。1つ書け」
俺は、ネフィスの筆を借りた。
紙の裏に、書いた。3年、俺は人間界へ手紙を出したことがない。出し方を知らないので、下の欄と同じ書式で書いた。
——こっちも、まだ終いじゃねえ。
書いてから、少し考えた。
もう1行、足した。
——1095行、読んだ。
騎士が、馬で出ていった。
それを、村の子供が10人ほど、追いかけた。先頭が、ミトだ。この娘は、走りながら、字の書いてある板を振り回していた。
書いてあるのは「ぐらん」の3文字だ。
夜になって、俺は10枚目を出した。
9行目に、俺の名が入っている。10行目に、ヴァルゼードが入っている。書いた者の手が、どちらも震えていない。
問題は、その下だった。
11行目に、線が1本、入り始めていた。
俺の手ではない。あいつの手でもない。細くて、まっすぐで、入り方が、上から差し込むようだった。
21年前、俺を落とした連中の、上にいる手だ。
俺は、それを、火に翳した。
字は、読めなかった。読めないものは、数えられない。なら、こっちから数えるしかない。
「ネフィス」
「はい」
「新しい帳面を、1冊作れ。……上の分だ」




