第247話 半日、引く
引き始めて、たぶん半日が過ぎていました。
時間は、数えていません。その余裕がありませんでした。分かっているのは、日が真上を過ぎて、わたしの影が足の右側に出ていることだけです。
項は、途中から痛くなくなりました。
それは、良くないことだそうです。
ヴェルナ様が、列を回りながら、そう仰っていました。痛みが消えた者は、線が弛んでいる。弛むと、引いている力が紐に乗らない。
わたしは、まだ痛みます。
「リィナ」
「はい」
「代わりますか?」
「いえ」
ヴェルナ様は、列を回るたびに、同じ場所で足を止められます。
「9度、同じことを申し上げております」
「10度、同じことを申し上げます」
ヴェルナ様は、わたしの手を見ました。
何も言わずに、わたしの掌へ布を1枚置いて、次の列へ行かれました。布の下の皮が、朝から剥けています。
井戸の縄と同じところでした。
わたしの左に、麦運びの男の方が立っています。
年は40くらいです。名前を、わたしは知りません。知らないまま、半日、同じ紐を握っています。この方は、途中から声を出すのをやめました。
痛みが引いたからではありません。
「あんた、休まねえのか?」
「休みません」
「若えのに」
「若いからです」
空が、鳴りました。
縫い目の穴の、いちばん端です。詰まっていた穴が、内側から押し返されました。その拍子に、砂が降ってきました。
灰色の砂が、村の屋根に積もり始めました。
「引け」
ヴェルナ様の声が、初めて大きくなりました。
「全員、腰を落としなさい。……手を離した者は、わたしが見ております」
わたしは、紐を、両手で下から掬って、体重を後ろへ預けました。その瞬間に、項の線が、焼けました。半日、痛まなかった分が、まとめて戻ってきたような痛み方でした。
隣の男の方が、声を上げました。
「うおっ」
わたしは、少し笑いました。
この方の声が、今朝、上を見上げていた若い方と同じ出し方でした。この村の人たちは、痛いときに、驚いた声を出します。
悲鳴を、あまり知らないのだと思います。
紐が、一度、緩みました。
それから、強く張りました。上へではありません。斜めです。上のものが、真上から外れたということです。
落ちてきている。
わたしは、紐を離しました。
走りました。向かった先は、麦の山ではありません。山は、昨日のうちに、ほとんどを東へ運び出してしまいました。残っているのは、藁です。
藁の山まで、20歩あります。
間に合いませんでした。
ゼノ様は、藁の手前に落ちました。落ちる直前に、アステリアさんが翼で1度、風を噛みました。その分、速さが落ちました。
それでも、2人とも、立ちませんでした。
わたしは、膝をついて、ゼノ様の顔を見ました。
目は、開いています。それでいて、こちらを見ていません。脇腹の外套が、内側から裂けていました。血ではありません。裂け目の奥が、黒い。
闇魔法を、中に受けています。
「ゼノ様」
「……麦は」
「動かさないでください」
ゼノ様の目が、そこで初めて、わたしの方へ動きました。
「あれは、どけたか?」
「ほとんど、東へ出しました」
「そうか。……固えな、この地面」
わたしは、言うことが分からなくなりました。
それで、この方の頭に、手を置きました。置いてから、昨日、逆をされたのを思い出して、少し力を入れました。
「重えぞ」
「どけません」
アステリアさんが、その横で、手を突いて起き上がって、右の翼を畳みました。3回で畳めました。それから、わたしの方を見て、こう言いました。
「……今日は、引っかかりませんでした」
「はい」
「あなたの教え方が、良かったのだと思います」
わたしは、その言葉に、すぐ返事ができませんでした。
この方が、わたしに礼を言うのは、初めてでした。
その間に、ネフィス様が走ってこられました。
「我が主。……先に書いた日付を、今日に直してよろしゅうございますか」
「書け」
「空けた行の方は?」
「そっちは、まだ空けとけ」
ゼノ様の脇腹には、穴が開いたままでした。




