↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
246/300

第246話 10行目

筆は、軽かった。


骨だ。中が空(うつ)ろになっていて、振ると、乾いた音がする。墨壺は無い。書く者の側から出るのだろう。アステリアが4202行目を書いたときも、そうだった。


俺は、10枚目を、砂の上に広げた。紙は、風を受けても動かなかった。



9行目が、紙の真ん中で止まっている。


その先を、指で辿(たど)った。線の始まりが、21年前の形をしている。「ヴ」の一画目だ。21年かけて、一画目しか進んでいない。


俺は、そこに筆を置いた。


「書くぞ」


「書け」


「あんたの名は、書かねえ」


「……何だと」



俺は、一画目の上から、線を引いた。


それで、消した。その上に、下で使っている方を書いた。4年半前、門で他人に名乗った名だ。エリシアが最初に呼んで、リィナが4年半呼び続けている。


——ゼノ。



書き終えた瞬間に、砂が鳴った。


上の砂が、初めて落ちてきた。粒が、俺の肩に当たって、跳ねた。そこへ、また粒が落ちる。天井が、崩れている。


9行目が、埋まった。


「9番目が、埋まっちまったぞ」


そいつが、落ちた腕のまま、そう言った。


「埋まった。……けどな」


「……読めねえのか?」


「読めねえだろ。……行が合わねえんだからな」



そいつは、しばらく黙っていた。


それから、喉を鳴らした。笑い方だった。俺の笑い方だ。300年、人前でこれを出したことは無い。


出すと、部下が困る顔をするからだ。


「埋まってるのに、読めねえ」


「そうだ」


「数えられねえな?」


「数えられねえ」



砂が、崩れる速さを上げた。


上の層が抜けて、下の層が見え始めている。その層に、字がある。何千年分か、積んだ欄が、いま、いっぺんに空気に触れた。


端から、字が薄くなっていく。


「あなた。項が」


アステリアが、俺の後ろで言った。


俺の項の線が、引かれている。下からだ。4202人が、引いている。朝より、強い。上が崩れ始めたのが、下からも見えている。


紐が、俺を戻そうとしている。



俺は、筆を、そいつの方へ投げた。


筆は、砂の上で1度跳ねて、そいつの膝の前で止まった。落ちていない方の手が、それを拾った。


「何のつもりだ?」


「9行目は、埋めた。……10行目が、空いてる」



そいつは、紙を見ずに、俺を見た。21年、この顔は、上の連中に使われてきた。夜になるたびに、下へ命令を降ろしてきた。中身は、こいつが決めたものではない。


それを、21年、自分の顔で言わされていた。



「ヴァルゼードは、空いてる」


「……捨てたんだろうが」


「捨てた。……だから、余ってる」



そいつが、筆を握り直した。


左手だが、俺と同じ握りだ。中指の第二関節に、筆を乗せる。300年前、字の下手さを部下に笑われて、それから直さなかった握り方だ。


10行目に、線が1本、入った。



砂が、抜けた。


足元の層が落ちて、俺は下へ傾(かたむ)いた。その身体を、アステリアが掴んで、翼を開いた。右の翼が、今日は、きちんと開いた。


風を、1つ噛んだ。



落ちながら、俺は上を見た。


砂の崩れる真ん中に、そいつが座って、紙に何か書いている。手が、途中で止まらなかった。


21年、止まっていた手だった。



「ヴァルゼード」


俺は、そう呼んだ。


声が、届いたかどうかは分からない。届いたとしても、返事をする暇(ひま)は無かった。砂が、その姿を横から呑んだ。


呑まれる直前に、片手だけが上がった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。