第241話 3日目の夜
3日目の夜に、俺は村を1周した。
見回りではない。見回りなら、ドランがもうやっている。明日いなくなる場所の形を、いま目に入れておきたかった。
そうしないと、戻ったときに、どこが変わったか分からない。
最初の火は、西の端にあった。
ザルカが、袋の山の前で座っている。1400袋のうち、1100袋を東へ回す割り振りだ。板に石で線を引いて、数えている。線の引き方が、俺の教えた形ではなかった。
自分で考えた引き方だ。
「我が君」
「進んでるか?」
「進んどる。……300は、残しとくことにした」
「誰が決めた」
「俺だ」
俺は、その板を見た。
300の理由は、訊かなかった。こいつは21年、訊かれた通りにやってきた。理由を訊けば、理由を用意する癖が戻る。
ザルカは、訊かれないのを見て、勝手に喋った。
「冬に、あの村が雪で埋まる。……埋まってから運ぶと、俺の馬が潰れる」
「馬を潰したのは、今朝だろうが」
「潰したから、分かったんだ」
次の火は、北の砦の下にあった。
グランが、地面に棒で字を書いている。1文字だけだ。同じ字を、地面いっぱいに書いている。
書きすぎて、どれが書き始めか分からなくなっていた。
「ヴァルゼード」
「その字、なんだ?」
「俺の名の、頭だ」
「昨日と違うぞ」
「……違うのか」
俺の後ろで、ミトが息を吸った。
11歳の娘が、両手を口に当てている。笑うのを堪えると、この娘は肩が上下する。
「グランさま。それ、さかさまです」
「逆さま?」
「はい。……昨日も、そうでした」
グランは、しばらく地面を見ていた。
それから、足で全部消して、また書き始めた。3文字書いて、また止まった。ミトが棒を取り上げて、手本を1つ書いた。
グランは、それを、真上から覗き込んだ。
「……ミト。お前、その字、どこで覚えた」
「ラントさまです」
「あいつは、俺の倅だ」
「はい。知ってます。……3回、聞きました」
俺は、火から離れた。
この男が、これから4回目を言う顔をしていた。
東の火の前に、ネフィスがいた。
帳面を閉じて、膝の上に置いている。閉じたのは、書くことが決まったときだ。今日は、書くことが決まって、まだ書いていない。
「我が主」
「書かねえのか?」
「日付だけ、先に書きましてございます」
「戻る日か」
「はい。……空けた行が、1行ございます」
俺は、その帳面を取らずに、火の向こうを見た。ヴェルナが立っている。両手を前で組んで、ずっとこちらを見ていた。隠す様子は、無かった。
「我が君。錨の配りは、終わりましてございます」
「痛むのは、どのくらい続く」
「引いておられる間、ずっとでございます」
「4202人に、そう言ったのか?」
「……申し上げておりません」
俺は、顔を上げた。
「言ってねえのか」
「申し上げました。痛むと。……ですが、どのくらい続くかは、申しておりません」
「なんでだ?」
「わたしが、存じませんので」
ヴェルナの声が、そこで一度、崩れた。
21年、この女が崩したことのないところだった。組んだ手の指が、片方だけ強く曲がっていた。
「我が君。……戻られなかった場合、わたしは、あの者たちに、何と申し上げればよろしいのですか」
「戻る」
「そうではございません」
「……そうじゃねえのか」
俺は、その先を、上手く続けられなかった。
この女が訊いているのは、俺の予定ではない。答えの無い側に立たされることについてだ。
21年、この女は、答えのある側にいた。
「ヴェルナ」
「はい」
「分からねえと言え。……あんたが分からねえなら、あいつらも、分からねえままでいい」
ヴェルナは、答えなかった。
指の曲がったままの手を下ろして、俺の後ろの方へ目を向けた。
その先に、リィナが立っていた。
いつからいたのか、分からない。この娘は、近づくときに足音を消す癖がある。癖は、4年半前の門番の仕事で付いたものだ。
手に、俺の9番の札を握っている。
「ゼノ様」
「錨は、あんたが一番前だ」
「はい」
「痛えぞ」
「存じています」
俺は、そこで言うことがなくなった。
仕方なく、頭に手を置こうとして、途中で止めた。前にも置いた。対抗戦の日だ。同じことを2度すると、こいつは意味を探し始める。
宙の手が、行き場を失った。
「……何ですか、それは」
「なんでもねえ」
「置くなら、置いてください」
置いた。
手の下で、リィナが少し下を向いて、こう言った。
「アステリアさんに、右の翼の畳み方を教えました」
「あんたが?」
「はい。3回で、できるようになりました。……わたしより、覚えが早いです」
俺は、その報告を、どう受ければいいのか分からなかった。
黙っていると、リィナが勝手に続けた。
「上で、翼が開いていると、引っかかって……その、遅れますので」
「……まぁ、そうだな。俺も、あの翼は目障りだった」
「遅れると、わたしが引く時間が、長くなります」
空を見た。
縫い目が、木の梢のあたりまで下りてきている。明日の朝には、地面に着く。そうなれば、上と下は、別の本になる。
俺が戻る場所は、3日前より、だいぶ細かく決まっちまった。




