第240話 20年前の、下の帳面
梁の上から見ると、80人は、綺麗に並んでおりました。
6列です。前の2列が盾、後ろの4列が槍。並び方に乱れがありません。23年、同じ場所で同じ順に立ってきた者の並び方です。
わたしは、そういう並びを、崩す方の仕事をしておりました。
崩し方は、3つあります。
1つ目は、いちばん後ろの端を落とすこと。2つ目は、前の列の足元へ物を転がすこと。3つ目は、誰か1人の名を呼ぶことです。
3つ目が、いちばんよく効きます。名を呼ばれた者は、必ず一度、こちらを見ますので。
今日は、3つ目が使えません。
「シャルさん」
下から、ミルカさんが梁を見上げました。
「聞こえますか?」
「聞こえます。……声を張らないでください。あの列の3列目に、耳のいい者がおります」
「どうして分かるのですか?」
「顔の向きです。1人だけ、盾の方を見ていません」
聖堂の扉が、内側から開きました。
開けたのは、ベルクハルトという正典騎士です。さきほど、剣の柄から手を離した方です。この人が開けたので、外の80人は、最初の6歩を踏み出しませんでした。
味方が開けた扉には、突っ込めません。
ジークハルト様が、扉の真ん中に立ちました。
その横に、40過ぎの写字生が1人。エイドリク様です。手に、帳面を1冊持っておられます。
表紙が、黴で黒くなっていました。
「——23年前の、下の帳面でございます」
エイドリク様が、そう仰いました。
「ラント殿が上の欄へ書きました202人は、みな、この帳面に載っております。わたくしが写しましたのは、そのうちの1行だけでございます」
前の列が、動きませんでした。
命令を待っているのではありません。待つ者は、足の裏を動かします。この80人は、足の裏も動かしませんでした。
聞こえていないのだと思いました。
エイドリク様が、帳面を開いて、指で行を押さえて、読み始められました。
「——髪の赤い、7つの娘。ミナ」
「——足の遅い、11の男。コル」
「——右の耳が無い、9つの娘。ティラ」
3人目で、3列目の端が、1歩ずれました。
槍を持った女です。兜を被っています。背は、わたしより少し高い。右の耳のところで、兜の形が変わっておりました。
内側に、空きを作ってある兜です。
わたしは、矢をつがえるのをやめました。
この列の崩れる形が、戦の崩れ方ではありませんでした。戦で崩れる列は、外側から欠けます。この列は、真ん中から歪みました。
その場所の者が、みな、耳か、手か、足を押さえておりました。
「ティラ」
エイドリク様が、もう1度、その名を呼ばれました。
槍の女が、兜を取りました。顔は、30を少し過ぎた年です。右の耳が、ありません。傷は古く、塞がっております。
「……その名は」
「あなた様のお名前でございます。23年前、この帳面に載ったお名前でございます」
「わたしは、正典騎士だ」
「はい。23年前は、9つの娘でございました」
「そんな話は」
「聞いておられぬはずです。……あなた様は、渡された側から、渡す側へ、置き直されました」
列の真ん中から、金物の音が続けて上がりました。
槍が3本、石の上に落ちた音です。3人とも後ろの列で、誰も拾いませんでした。
それを見て、前の列の盾が、初めて下がりました。
わたしは、梁の上で、少し身体をずらしました。
この場が終わるかどうかを、見極めるためです。終わる場では、人が下を向きます。終わらない場では、人が誰か1人を見ます。
80人のうち、21人が、いちばん前の男を見ておりました。
いちばん前の男は、兜を取らずに、剣を抜きました。刃に、錆がありません。23年、毎日研いでいた刃です。研ぐ者は、使うつもりがある者です。
「——読むな」
いちばん前の男の声です。
「読まれると、23年が無くなる」
エイドリク様は、頁から指を離さずに、そのまま次の行へ移られました。
「——右の掌に、生まれつきの痣。14の男。ハウル」
いちばん前の男の剣が、途中で止まりました。
それから、その手が開きました。右の掌に、黒い痣があります。指の付け根から手首まで、斜めに1本。
男は、自分の掌を、しばらく見ておりました。
「……俺は、読まれた方か?」
「左様でございます」
「23年、俺は、この書を守っていた」
「はい」
「守っていたものが、俺を数えた帳か?」
エイドリク様は、初めて頁から目を上げて、こう仰いました。
「わたくしも、23年、それを書いた手で、ご飯をいただいてまいりました」
矢を、わたしは結局、放ちませんでした。
梁の上で膝を抱えて、下を見ました。80人のうち、立っているのは、まだ40人ほどおります。座り込んだ者が、20人。
残りの20人は、膝をついて、名を呼ばれるのを待っておりました。
ジークハルト様が、扉の外へ1歩出て、いつものように、深く頭を下げられました。その背中を、わたしは梁の上から見ておりました。この方の肩甲骨は、頭を下げると、左右で高さが違います。
昔、左の肩を折ったまま繋いだ形です。




