第232話 9番の札を、預かります
火が小さくなった頃に、隣へ座った者がいた。
座り方で、誰かは分かった。膝を立てて、その上に顎を乗せる座り方をするのは、1人しかいない。2年前、王都の門の外で、同じ形で座っていた。
靴を、脱いでいた。膝の横に、きちんと揃えて置いてあった。
「痛えのか?」
「痛いです」
「見せろ」
「嫌です」
俺は、手を引っ込めた。
嫌だと言われたら引っ込める。2年で覚えた。最初の頃は、掴んで引き寄せていた。
掴むと、こいつは怒る。
「谷で、棒を握ったな」
「握りました」
「掌が割れてるだろう?」
「割れています。……ですが、足の方が痛いです」
俺は、火に枝を1本くべた。
それから、燃えている枝を1本、この娘の足の方へ寄せた。触らずに温めるには、火の方を寄せるしかない。
足は、動かなかった。
「2年前に、門で名を訊いたな」
「訊きました」
「あのとき、あんたは、家の名を言わなかった」
「捨てた日でした」
「捨てた日に、俺の名を訊いたのか?」
「はい。……自分の名が無くなった日でしたので、他人の名が要りました」
2年、リィナは、あの日のことを一度も説明しなかった。走れと言えば走り、止まれと言えば止まらなかった。誰も、訊かなかった。
俺が、訊かなかった。
「あの日、あんたに何と答えた」
「ゼノ、と」
「それだけか?」
「それだけです」
俺は、懐へ手を入れて、10枚目の紙の横にある、小さいものを出した。糸のついた札だ。18年、上の棚の釘に掛かっていた。
表に、番号が1つ書いてある。
——9。
「これを、持っとけ」
「……何ですか、これは?」
「18年、俺の代わりに掛かってた。名前の代わりだ」
「では、あなたの物です」
「もう使わねえ」
リィナは、それを受け取らなかった。
膝の上の手を見てから、こう言った。
「番号は、いりません」
「なんでだ?」
「あなたを、番号で呼びません」
18年前の白い回廊を思い出した。あそこで、俺は9番と呼ばれた。その瞬間に、床が抜けた。
抜けた先で、2年前、こいつは俺を名で呼んだ。
「……そうか」
「はい」
「なら、捨てるか」
「捨てないでください」
リィナは、俺の手から札を取って、自分の懐へ入れた。
「預かります。……わたしが持っていれば、あなたが取りに来ます」
俺は、少し笑いそうになった。
2年前の門で、こいつは俺の外套の裾を掴んで離さなかった。掴み方は下手だったが、離し方だけは、最初から知らなかった。
やり方が、変わっていない。
「リィナ」
「はい」
「2年、返してなかった返事だ」
俺は、言葉を探した。
出てこなかった。言うことが無いのではない。言い方を、18年、誰にも教わっていない。
代わりに、手を出した。
その手を、リィナの頭の上に置いた。
指に、麦の粉がついた。落ちてきたときに被った分が、まだ残っている。
「……重いです」
「どけるか」
「いいえ」
火が、はぜた。薪の下の方が、白く落ちていた。
その音で、少し離れた場所に座っていた者が顔を上げた。翼の娘だ。まだ手に、麦を3粒握っている。
顔を上げて、すぐに下げた。
それから、右の翼を、畳もうとして失敗していた。
俺は、懐の10枚目を、指で押さえた。
9行目が、まだ伸びている。その先に、誰の手があるのかは、まだ分からない。分からないが、方角だけは決まった。
上の、さらに上だ。




