第231話 麦の山
落ちてくる場所は、麦の山と決めておきました。
広場の東の端に、搗いた麦が積んであります。204人を受けたときに、村の人が下敷き用に積んだものです。使わずに済んだので、そのまま残っていました。
わたしは、そこへ全員を寄せました。
「上を見ていてください。落ちてきたら、押さえます」
「押さえるって、どこをだ?」
「足です。……頭からは、無理です」
グラン様に、そう申し上げました。
この方は、右腕が動きません。右腕を垂らしたまま、麦の山の縁に立っておられました。砦の門に立つ立ち方です。
「お前、あれの落ち方を知っとるのか?」
「知りません。……初めてです」
空の穴が、閉じかけていました。
その縁から、黒いものが1つ、抜けてきて、そのまま真っ直ぐ落ちてきます。
大きさが、2つ分ありました。
アステリア様を、抱えておられました。
腕の中に、翼が畳まれずに片方だけ出ています。あの方は、いつも右の翼だけ畳み損ねます。
わたしは、そこで走りました。
麦の山へ落ちました。
音が、低かったです。麦は、水よりもよく受け止めます。その分だけ粉が上がって、広場に立っていた4202人の頭の上へ、一斉に降りました。
全員、白くなりました。
グラン様が、咳をされました。左手で目をこすって、それから、こう仰いました。
「……麦倉が1つ、無駄になったな」
「無駄ではありません」
「食えんだろう、これは?」
「食べられます。……あとで、篩にかけます」
麦の山の中から、腕が1本出ました。その腕が、翼を先に押し上げました。アステリア様が、麦の中から座った形で出てこられました。
髪にも、翼にも、麦がついています。
「アステリア様。お怪我は?」
「……ありません。麦が、口に入りました」
「出してください」
「はい」
あの方は、そこで、麦を3粒、手のひらへ出されました。
それを、じっと見ておられました。
「わたし、いま、物を食べました」
「食べていません。口に入っただけです」
「18年ぶりです」
「……そうですか」
わたしは、それ以上、何も申し上げませんでした。
この方は、麦の粒を3つ、まだ手に持っておられました。捨てずに握って、その手を膝の上に置かれました。
次に、ゼノ様が出てこられました。
出てこられ方が、不格好です。背中から入られたので、足の方が先に出ました。その足を、村の人が2人がかりで引くと、頭が出ました。
髪が、真っ白でした。
麦の粉です。いつも黒い髪の方が、粉で白くなっておられました。目のところだけ、粉が飛んで黒いままです。
わたしは、それを見ました。
見て、笑ってしまいました。
笑うつもりはありませんでした。6日走って、谷で棒を折って、ここまで戻ってきて、それで最初にしたことが、笑うことでした。
止まりませんでした。
「何がおかしい」
「いえ」
ゼノ様が、髪を1度、手で払われて、粉が肩へ落ちました。
「顔に何かついてんのか?」
「……ついています」
「拭け」
「嫌です」
ゼノ様は、手を止めて、わたしの顔を見られました。それから、自分の手の甲で、目の下を1度だけこすられました。こすった場所だけ、黒が広がりました。
余計に、おかしくなりました。
グラン様が、後ろで、大きい声を出されました。
「おい。羊を4頭潰したのは、朝だぞ」
「4頭もか?」
「倅が200人連れてきたからだ。……お前の分は、無い」
「要らねえ」
「言うと思ったから、取ってある」
わたしは、麦の山の縁に座って、ゼノ様の懐から出ている紙の端を見ました。小さい紙です。掌に乗るほどの大きさで、少し黄ばんでいます。
その紙のことは、まだ伺いませんでした。
いま伺うと、この方は仕事の話を始めて、麦の粉を落とす前に、次の場所へ歩き出されます。2年、ずっとそうでした。
今日は、座っておられます。




