第229話 10枚目
204枚目の板を投げ終えてから、俺は帳の方へ歩いた。
歩く先に、壁は無い。区切りも無い。ただ、ある場所から白が厚くなる。その中に、頁が縦に重なって、上へ伸びている。
18年前に見たときより、伸びていた。
「アステリア。何枚ある?」
「数えられません。……上の方が、霞んでいます」
「霞むってのは、遠いからか」
「いいえ。……見えないように、してあります」
俺は、手近な1枚に触った。
字が動いている。伸びている線と、縮んでいる線がある。縮み切ると、名が薄くなって、下の行が上へ詰まる。
詰まる速さが、前より遅い。
下で死ぬ数が、減っている。
9日、魔界では誰も読まれていない。グランと、ザルカと、ルシェと、アニカと、ラントと、リィナと、俺が、読む者を7本の棒ごと折った。
7本のうち、俺が折ったのは1本しかない。
俺は、横の頁を押しのけて、上へ登った。
登るのに、足場は要らなかった。頁と頁の間に、指を入れて引けば、身体が上がる。紙の帳を、梯子にして登っている。
登りながら、字を見た。
低い場所の頁は、人間界だ。名の横に、年と、住んだ場所が書いてある。
その上が、魔界だった。同じ書き方で、同じ並びだ。書き方が同じだということは、書いている者の頭の中で、こちらと向こうの区別が無いということだ。
さらに上が、細い頁になった。
9枚ある。1枚ずつ、名が1つだけ書いてある。座だ。9枚目には、俺の名と、その下に4202行が入っている。収まらない分が、頁の外へはみ出していた。
はみ出した行を、頁が拒んでいない。
「アステリア。9枚目が、広がってる」
「……広がりますか」
「器は9つで打ち止めだと、こいつらは言った。だが、中身は勝手に広がってる」
「では、打ち止めなのは」
「器じゃねえ。数え方だ」
俺は、9枚の座の頁を、指で1枚ずつ捲った。
捲った先に、まだ上がある。
10枚目があった。
他の頁より小さい。掌に乗るほどの大きさだ。周りの白より、少しだけ黄ばんでいる。古い。何百年も掛かったままの紙の色だった。
字が、9行書いてある。
読めなかった。
字の形は見える。線の引き方も見える。だが、読もうとすると、目が滑る。読んだ端から、頭に入らずに落ちる。
18年前、俺は白い回廊で同じことを経験している。あのとき、俺をどの名で呼んだのか、いまだに思い出せない。
下から、声が上がってきた。
「9番目」
2番だ。
床から、こちらを見上げている。登ってこない。登れないのではなく、登らないのだと分かった。この連中は、自分の座より上へは行かない。
「それは、こちらも、読めません」
「読めねえのに、掛かってんのか」
「掛かっております。……9つの座の、上にございますので」
俺は、その紙を、もう1度見た。
9行ある。1行ずつ、行の頭に、何か印がついている。形が、下の頁の印と同じだ。下の頁の印は、座の番号だった。
つまり、これは、9つの座の名簿だ。
「2番。あんたの名は、これに載ってるのか」
「載っております」
「読めるか」
2番は、そこで、自分の手を見た。手を見る仕草を、俺はこいつらから初めて見た。
「読めません」
「自分の名が、読めねえのか?」
「はい。……ですので、削ることもできません」
俺は、8番目のことを思い出した。
あいつは、名を削っていた。だから番号だけになった。削れたということは、あいつの名は、この10枚目には載っていなかったということだ。
載っていない者が、1人、座に就いていた。
「セレスティアは、名を削れたな」
「削られました」
「あいつの名も、ここには無かったのか」
「……ございませんでした」
この帳の作りが、少し見えた。10枚目に載っているのが、本物の座だ。載っていない者は、後から埋めた分だ。埋めた分は、削れる。
俺の名は、どちらに載っている。
俺は、10枚目の9行目を見た。
9行目だけ、字が薄い。いや、まだ書き終わっていない。線の先が、途中で止まっている。
書いている途中で、止まった字だ。
止めたのは、18年前だ。
俺が床を抜かれた日から、この行は止まっている。書いていた者は、俺を落としたあと、筆を置いた。
そのまま、18年、戻っていない。
「2番。これを書いてんのは、誰だ」
「存じません」
「あんたらの上に、誰かいるな」
「……9つの座の上には、何もございません」
18年、こいつらは同じ声で、同じ言い方をしてきた。今日、初めて、語尾が半分だけ落ちた。
嘘をつくのに、慣れていない。
俺は、10枚目を、帳から抜いた。
その途端に、白い床が、下から一斉に暗くなった。
《《上の上に、俺の知らねえ手が、1つある》》。




