第220話 3人とも、残れ
リィナ様が東の火へお戻りになりましたのは、6日目の夜でございました。
外套の裾に、谷の赤い土がついております。南の谷の土は、他のどこの土とも色が違いますので、どこから歩いておいでかは、裾を見れば分かります。
わたしは、帳面に、その日の帰着を1行書きました。
書いております間に、リィナ様が懐から折れた棒を出して、火の前の平たい石へ置かれました。断面が上を向きました。層の真ん中に、細い穴が1つ通っております。
穴を、翼の方が先に覗かれました。
「……これは」
「上へ、繋がっています」
「リィナ様。これを、どこで」
「南の谷です。谷の人が、鶴嘴で真ん中を割りました」
アステリア様は、少し黙られてから、膝の上の手を、自分の翼の付け根の方へ動かされました。この方は、言いにくいことを仰る前に、必ず翼の付け根へ手をやられます。
「……わたしが、運ぶはずでした」
リィナ様が、顔を上げられました。
「それは、どういう意味ですか?」
「上がる道は、品として運ばれる以外にありません。わたしが受け取り、セレスティア様が渡す。……そう決めておりました」
「決めたのは、いつですか」
「あの方が、わたしに名乗られた夜です」
「ゼノ様は、断られたと伺いました」
「はい。断られました」
リィナ様は、アステリア様から目を外されませんでした。
「アステリア様」
「はい」
「わたしは、あなたが運ばれるのを見ていません。だから、順番は……譲りません」
「譲っていただくつもりはありません」
「では、なぜ『わたしが運ぶはずでした』と仰いますか?」
翼の方は、火の方へ顔を向けて、答えられませんでした。
「……18年、待っていました」
「存じています」
「待っている間に、できるようになったことが、1つだけです。品を受け取ることです」
「それは、できるようになったことではありません」
リィナ様は、そう仰って、折れた棒を、平たい石の上で、翼の方の膝の前へ滑らせました。
「運ばれるのは、荷です。荷は、自分では止まれません。……あの方を、荷にしないでください」
翼の方の肩が、上がって、そのまま止まりました。この方が声を荒らげるのを、わたしは1度も見ておりません。今日も、荒らげられませんでした。
荒らげない代わりに、立ち上がられました。
「リィナ様は、2年です」
「はい」
「わたしは、18年です」
「……年の話は、していません」
わたしは、帳面を閉じて、2人の間の火へ、薪を1本足しました。暖を取るためではございません。この火が小さくなりますと、2人の顔が見えなくなりますので。
顔が見えない場所で言い合いますと、次の日に残ります。
「お2人とも、お座りくださいませ」
「ネフィス様」
「わたしは、この穴の口を測りとうございます。……測るには、明るさが要ります」
そこへ、我が主が戻られました。
3人を順に見て、何が起きているかは、すぐにお分かりになったはずでございます。この方は、人の身体を読まれます。
読んでから、口を開かれました。
「3人とも、残れ」
火が、はぜました。
リィナ様が、立ち上がって、我が主の正面へ行かれました。背は、あの方の胸までしかございません。
「わたしは、荷物ではありません」
「誰もそう言ってねえ」
「では、残れというのは、何ですか?」
「……危ねえからだ」
「あなたが危ない場所へ行くのに、わたしが残るのですか」
我が主が、一歩お引きになりました。口を開きかけて、閉じられました。
「あんたは、6日走った。足が潰れてる」
「治ります」
「治る前に、上へ行くことになる」
「では、潰れたまま行きます」
翼の方が、そこで、初めて笑われました。
眉の端が下がる笑い方でございます。嬉しいときも困ったときも、同じところが下がります。
「あなた」
「なんだ」
「いまの仰りようは、下手でした」
「言い直しは、利かねえのか」
わたしは、帳面をもう一度開きました。
その夜の分を書きました。誰が何を言ったかではございません。誰が座らなかったかでございます。
3人とも、座りませんでした。




