第219話 切り方は、裏に書いた
西の2本目が折れましたのは、日の落ちる少し前でございました。
折りましたのはザルカ様です。麦畑の畦へ棒を横に渡し、片方の端を足で踏んで、もう片方へ肩から乗って、そのまま体重を落とされました。
折れた音を聞いて、畑の者が34人、いっせいに咳をいたしました。
わたしは、その咳を数えておりました。
数えておりましたところへ、空から紙が1枚、落ちてまいりました。
我が君の字でございます。書き癖が、18年前と変わっておりません。「の」の最後を、内へ巻き込まずに、外へ跳ねさせる書き方でございます。
——紐を手繰って上がる。
——書いた者は、項の線で欄に繋がっている。引けば、全員が一緒に上がる。
——切りたい者は、切れ。切り方は、裏に書いた。
わたしは、紙を裏返しました。
裏に、印の形が1つ描いてございました。指で項の線を上から下へ撫でて、最後に、爪で横へ弾く。それだけでございます。
簡単に過ぎる、と思いました。
列を止めまして、読み上げました。
4201人のうち、この麦畑におりますのは、1400人でございます。わたしが書きました分でございます。1400人が、畦に沿って座っておりました。
読み終えましたところで、いちばん前の女が、立ち上がりました。
30ほどの女でございます。
背が低く、右の肩だけが前へ出ておりました。片側にばかり子を抱いてきた者の肩でございます。腕に、6つか7つの子を抱いておりました。
「切ってよいのですね」
「よろしゅうございます」
「上へ行くと、帰ってこられないのですね?」
「……分かりません」
わたしは、そう申し上げてから、自分の答えが、命じる者の答えではないと気づきました。18年、わたしは分からないと申し上げたことがございません。分からないことは、調べてから申し上げるものでございました。
今日は、調べる先がございません。
女は、子を畦へ下ろして、自分の項へ手をやりました。上から下へ撫でて、爪で横へ弾きました。
音は、いたしませんでした。
女の首から、線が2本、抜けました。
線は、空へ細く上がってまいりまして、途中で切れ、端が光の粒になって落ちました。
落ちた粒が、女の肩に触れました。
女が、止まりました。
目は開いたまま、動きません。項に、新しい線が1本、上から引かれ始めておりました。
わたしは、走りました。
走りながら、理解いたしました。
欄から抜けた名は、元の頁へ戻り、下におります正す者に読まれます。切るということは、抜けるということでございました。
抜けた先が、安全であるとは、我が君はお書きになっておりません。
「ザルカ様」
「読むな、と言いたいのか」
「この方を、押さえてくださいませ」
「押さえても止まらん。……線は、外から引かれてる」
子が、母の膝を揺すっておりました。
名を呼んでおります。女は動きません。子の声が、だんだん高くなってまいりました。
わたしは、帳面を開きました。
筆を持ってから、自分の項に触れました。2本ございます。打ち止めでございます。
書けません。
「ヴェルナ」
「……ザルカ様」
「その筆を、こっちへ寄越せ」
「あなた様は、まだ1本も」
「だから寄越せと言ってんだ」
ザルカ様は、筆を握られました。
握り方が、剣の握り方でございました。18年、この方の右手にあるのは、袋と剣でございます。筆ではございません。
それでも、書かれました。
子の名ではございません。倒れた女の名でございました。
「名を、ご存じでしたか」
「今朝、袋を運ぶときに聞いた」
「……なぜ、お聞きになりましたか?」
「重い方の袋を、この女が持とうとしたからだ」
女の項の、上から引かれかけた線が、止まりました。
そのまま、消えました。そこへ、欄から下りてきた紐が、もう一度、結び直されました。
女が、咳をして、子の名を呼びました。
ザルカ様の項に、線が2本、入りました。
入るのを、わたしは横から見ておりました。18年前、この方は西の砦で、命じられるのを待っておられた男でございます。
いまは、命じられる前に書かれました。
わたしは、1400人の列を、もう一度見渡しました。
切りましたのは1人で、その者は戻りました。それを見た残りの1399人は、誰も項に手をやりませんでした。
やらないのは、覚悟ではございません。切った先が、こちらより悪いと分かっただけでございます。
承知いたしました、と申し上げられないご命令を、わたしは、初めて受けましてございます。




