第218話 紐を手繰る
東の棒は、すぐには折らなかった。
折る前に、持っている方の手を落とした。腕は戻ったが、棒は地面に転がったまま戻らない。グランの言った通りだ。あの男は、字も読めねえくせに、道具と人の違いだけは1日で見抜いた。
俺は、それを拾った。
重い。
腕2つ分の長さで、太さは俺の手首ほどだ。紙を何百枚も同じ向きに巻いて締めてある。表の字が、上から下へ流れている。まだ生きている行だ。
その字を1行読んで、手が止まった。
俺の字だ。
正確には、俺が9番目の欄へ書かせた4201行のうちの1行だった。ロウグ村の子供の名だ。ヴェルナが、最初に自分の手で書いた1人。
それが、いま、棒の表を流れている。
「エレイ」
「なんでしょう」
「これは、どこの紙だ」
白いものが、膝の岩を引きずって寄ってきた。
棒を見て、答えるまでに間があった。この者は、答えを探して黙るのではない。出したくないものを後ろへ回すために黙る。俺は、待った。
「……9番目の欄です」
俺は、頁を懐から出した。
4201行が載った1枚だ。端を裂いて、帯を8つ作った。裂いたのは俺だ。裂いた分は、端の余白だった。
いま、頁が縦に短くなっていた。下の余白が、3寸ほどしか残っていない。
そこに、字が無い。それでも、行の数は4201のままだ。数が減っていないのに、紙だけが減っている。
「……削ってやがるな」
「そうです。1本作るごとに、3寸」
7本で、2尺1寸だ。
頁は、縦が3尺しかない。あと3本作られたら、この紙は無くなる。
「紙が無くなったら、行はどうなる」
「載る場所が無いんで、元の頁へ戻ります」
「戻った先で、読まれるな」
「読まれます。4201、全員」
俺は、棒の断面を見た。
層の真ん中に、細い穴が1つ通っている。覗くと、白い。上の床の白だ。俺が18年前に落ちた床と、同じ色をしている。
この穴を通して、上は下から中身を吸い上げるつもりだった。
「エレイ。この穴は、両方向か」
「片方きりです。……下から上へは、行けません」
「なんでだ?」
「穴の口が、上で1つに束ねてあるんです。束ねた先は、9番目の欄なんで」
9番目の欄は、俺の座だ。そこに7本の穴が繋がっているのに、俺は上がれない。
上がれない理由が、俺の側にあるということだ。
「俺が持ってるのは、何だ」
「欄です」
「欄は、上にある」
「そうです」
俺は、自分の掌を見た。頁を握っている手だ。この手は、ここにある。
「俺は、下にいる」
「はい」
頭の奥で、何かが噛み合った。
俺は、9番目の欄を持ったまま、下にいる。欄は上にある。つまり、俺の一部は、18年前からずっと、あの白い床に置きっぱなしになっている。
置きっぱなしのものへは、糸が通っているはずだ。
「ネフィス」
「ここに」
「俺の項に、線が何本ある」
ネフィスが、後ろから俺の襟を下げた。
書き物の胼胝が、襟に当たった。
「2本でございます。……先ほど、2本目が下まで届きましてございます」
「伸びてきたのは、どっちからだ」
「内側から、かと存じます」
俺は、そこで笑った。
線は、上が引くものだ。上から下へ伸びる。俺の2本目は、内側から伸びた。飲んだ31本が、内側で線になって、外へ出てきた。
内から外へ伸びた線は、どこへ繋がっている。
「エレイ。項の線の、上の端は、どこに結んである」
「……欄です」
「9番目の、か」
「そうです。……線は、欄と、その者を結ぶ紐なんです」
俺は、棒を地面に立てて、掌を開いた。6枚だ。極級を、棒の断面へ向けた。撃つのではない。穴の口を、こちらから広げる。
広げた先に、俺の欄がある。
「アステリア」
「はい」
「あんた、品として運ばれると言ったな」
「……申しました」
「あれは、断る」
翼の娘が、俺の横に来た。
棒の断面を覗いてから、顔を上げた。眉の端が、下がっていた。困ったときの下がり方だ。
「では、どうやって上がられますか?」
「線を、手繰る」
「……手繰る、とは」
「俺の項の紐は、上の欄に結んである。紐が結んであるなら、引けば、こっちが上がる。……運ばれるのは、御免だ」
エレイが、初めて、こちらへ2歩踏み出した。
膝から下が岩の者が、2歩踏むのに、時間がかかった。踏んでから、口を開いた。
「……前例が、ございません」
「なら、作る」
ネフィスが、帳面を閉じて、胸の前で抱えた。この女が帳面を閉じるのは、書くことが決まったときだけだ。
「我が主。1つだけ、申し上げます」
「言え」
「紐を手繰りますと、紐の先に結ばれた者も、一緒に上がってまいります」
4201人を思い浮かべた。全員の項に、2本ずつ結んである。
俺が上がるとき、下から4201人が、一緒に吊り上がる。




