第216話 わたしを、数えてください
靴は、まだ履いていません。
3日前に、ラントさんが1足、置いていってくださいました。大聖堂の階段の、9段目に揃えてありました。わたしは、それを見て、履きませんでした。
20年、床の冷たさを拾わずに立っていました。
拾えるようになったのが、7日前です。7日では、まだ、足の裏が床に慣れていないのです。
降り口は、大聖堂の屋根の上に開きました。
11、鐘楼の脇に降りてまいりました。そこから、石段を下りて、堂の中へ入ってまいりました。
わたしは、9番目の石の椅子の前に立っておりました。
「ラントさん」
「……お下がりください」
「あなたを、探しに来ています」
「存じております」
ラントさんは、袖の中で指を握りました。
この方の指の腹には、筆の胼胝があります。18年、北の砦で名簿を書いて、3年、白い場所で202人の順を覚えていた方です。
5日前に、ヴェルナ様の帳面へ手を置きました。
置いた分だけ、首の後ろに線が2本、入っております。
「何人、お書きになりましたか?」
「202でございます。……わたくしが順を覚えておりました者、全員でございます」
「同じ方を、2度お書きになったのですか」
「はい。1度目は上の欄へ、2度目は下の帳面へ」
1度目は、上に差し出すためでした。
2度目は、忘れないためです。
白いものが、堂の中央まで参りました。
11のうち、いちばん後ろの1体が、腕の2倍ある棒を持っております。前の10は、手ぶらです。
前の10が、まず、ラントさんの方へ寄りました。
「——線を、2本お持ちでございますね」
「持っております」
「お運びいたします」
エイドリク様が、前に出ました。
20年前に、受け取り名簿を1行だけ清書した方です。いまは、異端の名簿の1行目に、ご自分の名を書いておられます。
手に、その紙を持っておられました。
「わたしは、書いておりません」
「存じております。あなたは、数の内でございます」
「では、この者も、数の内でしょう。……線の有無で、扱いを分けるのは、帳の作法ですか」
白いものは、答えませんでした。
エイドリク様を、横へ押しました。物を押す押し方でした。20年、この国で、あの方たちは人を物のように運んでまいりました。
わたしは、その押し方を、20年、見ておりました。
見ておりましたが、20年、一度も止めておりません。
わたしは、9番目の椅子から、1歩出ました。
出るのに、7日かかりました。7日前に、あの方が名を訊いてくださいました。そのときは、エイドリク様が代わりに答えてくださいました。
アニカ。
わたしの名です。北の漁村の出で、父は網、母は塩でした。
「待ってください」
白いものが、止まりました。
止まったのは、わたしの声が大きかったからではありません。この堂で、20年、聖女が自分から喋ったことがないからです。
「わたしを、数えてください」
「……あなたは、20年前に数え終わっております」
「では、もう1度」
堂の床が、足の裏に冷たいです。
「2度は、数えません」
「なぜですか?」
「帳が、壊れますので」
少し、可笑しくなりました。20年、この国は、わたしを1人差し出して、頁を閉じていただいておりました。
閉じていただいた帳が、いま、壊れると仰います。
「では、壊してください」
「……何と」
「わたしを、もう1度お数えになれば、壊れるのでしょう。壊れれば、この方たちは運ばれません」
白いものが、後ろの1体を見ました。
棒を持った1体です。その1体が、棒を持ち替えました。迷ったのだと思います。
迷っているうちに、ラントさんが動きました。
この方は、走りませんでした。
歩いて、棒の1体の正面に立ち、袖から手を出しました。その手に、細い紙の帯を持っておられました。
東から回ってまいりました、字の無い帯です。
「作法を、1つ伺います」
「どうぞ」
「これは、そちらの紙でございますね」
「左様でございます」
「では、こちらも、道具でございましょう」
ラントさんは、その帯を、棒の真ん中へ巻きつけました。
両端を引きました。腕に、力が入りました。18年、筆しか持たなかった腕です。
棒が、鳴って、巻いたところから、白い粉が落ちました。
わたしは、そこへ走りました。20年で初めてです。足の裏が、石を拾うたびに、冷たいのが分かりました。
棒の両端を、わたしとラントさんで、それぞれ握って、反対へ引きました。
折れました。
その音が、堂の高い天井に当たって、2度返ってまいりました。
止まっていた者が、床の上で咳をいたしました。エイドリク様が、押された場所を押さえながら、起き上がりました。




