第214話 命じられていないこと
西の口は、2つとも、麦畑の上に開いた。
刈り入れの終わった畑だ。麦の株だけが残っていて、そこへ日が横から当たっている。その上に、白いものが22、並んで降りた。11と11だ。
俺は、畑の畦に立って、それを数えた。
数えながら、手の中の紙を見た。細い帯だ。字は入っていない。東から馬で回ってきた者が、これを置いて、すぐ次へ走った。
伝言は、9文字だった。
——棒を折れ。人は殴るな。
「ザルカ様」
後ろで、隊の者が膝をついた。
「ご命令を」
「待て」
「……待つのでございますか」
「待てと言った」
俺は、命令を出すのが好きだ。
出されるのは、もっと好きだ。18年、俺はそれを待っていた。誰かが俺に、何をどうしろと言ってくれるのを待っていた。
ひと月前まで、夜になると、部屋で声がした。あの声は、命じてくれた。配れ、と言った。
言われる前に、俺は配っていた。
6年前の冬に配った分で、西の900は死んだ。あのときは、誰も命じなかった。
白いものが、動いた。
22のうち、2つだけが前へ出た。手に、腕の2倍ある棒を持っている。残りの20は、手ぶらだった。
11に1本。東からの報せの通りだった。
「隊を、2つに割る」
「はい」
「右の11は、俺が行く。左は、ドランと同じで、倅を東で亡くした者どもだ。あいつらに任せる」
「……ドラン殿は、東でございますが」
「6年前に、倅を東で亡くした奴が、この隊にあと4人いる」
俺は、そう言ってから、口を閉じた。
自分でも、言いすぎたと思った。18年、俺は人の名を覚えるのが下手だった。覚えているのは、死んだ者の数だけだった。
数だけ覚えて、名を覚えん男を、あの人は魔王にしなかった。
「3年後に、生きてる数の多い方が取れ」
そう言われた。命令ではない。取り決めだ。
取り決めは、自分で守らんと意味がない。
前へ出た。棒を持った1体が、こちらを見て、棒を構え直した。振った。
畦の上で、俺の後ろの2人が座り込んだ。首の後ろに、線が2本ある。5日前に名を書いた者だ。
「止まったか」
「止まりました」
「運ばれる前に、動け」
白い者が、座り込んだ2人を拾いに来た。
拾い方が、物を拾う手つきだった。肩を掴んで、担ぐ。その先に、開いた口がある。あそこへ入れば、上へ上がる。
俺は、走った。麦の株が、脛に当たるたびに、足が持っていかれる。畑を走るのは、轍を走るより疲れる。18年、この畑を歩いて麦を集めた。
集め方は、覚えている。
走り方は、去年から思い出している。
担いだ白い者の、膝の裏へ入った。
蹴った。倒れて、担いでいた者を落とした。男が、地面で目を開けたまま止まっている。
白い者が、すぐ起き上がって、また拾おうとした。
「持ってくな」
俺は、その白い者の背中を、袋を担ぐ形で抱えて、投げた。10歩飛んで、それから、何ごともなく戻ってきた。
殴っても、投げても、戻る。戻らんのは、棒の方だけだ。
棒を持った1体は、後ろにいた。
前に20を置いて、自分は下がっている。18年、俺が見てきた将のやり方と同じだった。
同じなら、抜き方も同じだった。
俺は、右へ大きく回ってから、左へ切り返した。その先で、20のうち3つが、俺の進む先へ入ってきた。
そこを、抱えて投げた。
投げるのに、剣は要らん。麦袋を担ぐのと同じだ。
棒の1体まで、あと5歩だった。
5歩のところで、耳の後ろで声がした。
——退きなさい。
俺は、足を止めた。
ひと月ぶりだ。ひと月前から、この声は聞こえていなかった。以前は、決まって夜で、部屋の戸を閉めた後だった。
昼に聞こえたのは、初めてだ。
——あなたが止まれば、西の4000は数えられません。あの者たちは、あなたの帳面に載っております。
「……喋れたのか?」
——喋ります。あなたが、聞く側でしたので。
俺は、棒を見た。
あと5歩だ。5歩の間に、この声は、俺に退けと言っている。3年前から、同じ声が、配れと言っていた。
配れなら、6年前に、誰にも言われずに配った。それで、900死んだ。
今度は、退けと言う。
「あんた、去年、何て言った?」
——覚えておりません。
「俺は覚えてる。……18年前に、この界の主を1人片付けた。2度目は無い。そう言った」
声が、止まった。
答えが無いのではない。口に出す順番を探している。
そういう止まり方をする連中の話を、俺は東から聞いた。ドランが、人を寄越して伝えてきた。
「2度目は無え、と言ったな」
——申しました。
「じゃあ、いま、そっちが困ってるのはなぜだ?」
俺は、5歩を踏んだ。
棒を掴んだ。その手が、麦の殻で切れている手だ。剣の胼胝は無い。袋の胼胝しかない。
袋の胼胝で、棒を膝に当てて、折った。
折れた音が、畑に響いた。
響いた瞬間に、畦の上で座り込んでいた者たちが、一斉に息を吸って、咳き込んだ。その音が、20ほど重なった。
俺は、折れた棒の片割れを、持ったまま、20の咳が止むのを待った。




