第211話 あるいてる
石を積むのは、左だけでやる。
右は、肩から下が灰だ。触れば崩れる。戻りはしない。書記を1つ殴って、代わりに腕を1本置いた。安い買い物だった。
1段目は、斜めに寝かせる。
ヴァルゼードの積み方だ。18年前、あの男が砦の下で組んだ壁が、いまも1つだけ残っている。俺は、その壁の通りに積ませている。
今日で、11段目だ。
日の高いうちに、門の方で声がした。
戻ってきたのは、8つの童だ。外套の裾が泥で重くなっている。この子は、走ると必ず左足の方から汚す。
「グランさま」
「戻ったか」
「戻りました」
「腹は」
「減りました」
先に食わせた。
粥を1杯、それから塩の乗った麦を半分。全部やると、この子は食べきらずに残して、後で誰かに分ける。相手は、たいてい厩の犬だ。
食い終わるのを待って、俺は石の上に座った。
「紙は、あるか」
「あります」
ミトが、外套の内から紙を出した。
四つに折ってある。俺は、それを左手で受けて、広げた。
俺には読めん。
字は、18年、倅が書いていた。読む方も倅がやった。名簿に何人載っているかを、俺は口で覚えている。
「読め」
「読みます」
ミトが、紙を両手で持ち、少し口を動かしてから、声を出した。読むのが速くない。1文字ずつ、指で押さえながら読む。
「あ、る、い、て、る」
「それだけか?」
「それだけです。……ほかに、字はありません」
膝の上の石を、そのまま下ろした。下ろしたつもりが、落とした。石が、11段目の角を欠いた。
その角を、俺は暫く見ていた。
3年前、倅の名を書かせたのは、俺だ。字が書けるのは、あいつしかいなかった。7人目に、あいつが自分で自分の名を書いた。
それで、白いところへ出された。
「歩いてる、というのは、何だ?」
「わかりません」
「誰が寄越した?」
「ヴェルナさまです。……東から、馬で3日かかりました」
俺は、立ち上がった。
欠けた石を拾って、積み直した。角の欠けた面を、内側へ向けて置いた。外からは見えん。
見えんが、俺は知っている。
「ミト」
「はい」
「もう一度、読め」
「あ、る、い、て、る」
3度読ませた。
3度目で、この子は、読む速さが上がった。8つでも、3度読めば覚える。
俺は、覚えられなかった。
18年、名簿の字を1つも覚えなかった。気がなかったのとは違う。覚えたら、出す数を自分で書くことになる。
書かずに済ませたのは、俺の都合だ。
「グランさま。お顔が」
「なんだ」
「……右の方が、赤いです」
「火傷だ」
「火傷は、反対側です」
俺は、頬に手をやった。
この子に見られていることに気づいて、手を下ろした。その手で、次の石を持った。
「積め」
「積みます」
空が変わったのは、その日の夕方だ。
北の砦は、谷の口に建っている。そこからは、空が細長く見える。その空の真ん中が、明るくなった。
線ではなかった。面だ。空が、横に開いた。口の縁が白い。
俺は、左手で戦鎚を取った。
砦の者に下がれと言ってから、壁の上へ出て、開いた口を見上げた。
降りてくるのは、数える者ではなかった。
白い。だが、形が違う。
肩が張っている。手に、細長いものを持っている。あれは筆でも紙でもなかった。長さが、腕の2倍ある。
数えて、11。
11が、横に並んで降りてきた。
その並び方を見て、腹の底が冷えた。あれは、列を組んで降りている。列を組む者は、数えに来たのではない。
18年、あいつらは紙を持って来た。
今日は、持っていない。
紙を持たん相手には、こちらも名簿を出さん。




