第191話 数えてくださいませんか
「20年前に、その座を空けたのは、誰の考えだ」
俺は、壇の上から、そう訊いた。
答えたのは、いちばん奥の年寄りだった。椅子から立たずに、両手を膝の上で組んだまま、こちらを見上げていた。指の関節が太い。若い頃に、石か木を扱った手だ。
「こちらから、願いました」
「誰にだ?」
「上に、でございます」
年寄りは、そう答えた。
「20年前、この国の頁が開かれておりました。数え始められますと、10年で3000は出します。……それを、止めていただきました」
「ただでは止めねえだろう」
「はい。1人、お渡ししました」
俺は、壇の下を見た。
白い髪の娘が、そこに立っている。外套の裾が、石の上で広がっていた。裸足だ。この国は、20年、聖女に靴を履かせていない。
「この娘か」
「左様でございます」
「歳はいくつだった?」
「10でございました」
堂の中が、静かになった。
床に立っている202人が、いま初めて、話の中身を理解した。3年前に自分の名を名簿に書いた者たちだ。誰が誰の代わりに出されるかを、この者たちは身をもって知っている。
年寄りは、それを見ても、顔色を変えなかった。
「その娘の名は?」
「ございません」
「20年、何て呼んでた」
「聖女様、と」
掌の中の6枚が、勝手に厚くなった。増えた分が壇の石を舐めて、角を1つ落とした。石が床で跳ねて、その音で、祭服の1人が椅子から滑り落ちた。
俺は、6枚を握り直した。ここで振れば、この堂ごと消える。
202人もだ。
「エイドリク」
「……何だ」
「あんた、これを知ってたのか」
審問官は、答えなかった。
剣の柄に掛けていた手を下ろした。その先で、指が一度、開いて閉じた。
「……教義の上では、存じ上げぬことになっております」
「そうか」
「……20年、わたしは、あの方を神託の器だと教えられて参りました」
俺は、年寄りに向き直った。
「その娘を返せと言ったら、どうなる?」
「代わりが要ります」
「代わりってのは、人か」
「頁が要ります」
年寄りは、そこで初めて、椅子から立った。
壇の3段目まで来て、俺の掌の上の頁を見た。上から2行が濃くて、その下に、202の名が長く続いている。
「……9番目の欄でございますな」
「そうだ」
「そこへお入れになれば、あの方は、この国の頁から抜けます」
18年前に俺を運んだ手順を思い出した。渡す。受け取る。帳尻が合う。あのときも、こういう喋り方をする者が、紙を1枚持って立っていた。
「入れるには、どうする」
「数えるのでございます。……1つ、と」
俺は、そこで黙った。
答えを探していたのではない。1番の言った日取りを、もう一度、頭の中で並べ直していた。
——正される日は、あなたが下で誰かを数えた日でございます。
数えた日だ。翌日ではない。
「いま数えると、俺は今日、正される」
「正されますと、どうなりますので?」
「知らねえ。誰も戻ってきてねえからな」
年寄りは、少しだけ目を細めた。
算盤を弾く顔だった。この男は、いま、俺が断る方に賭けている。そのうえで、断ったという事実を、この国の帳面に書くつもりでいる。
俺は、その顔を見て、一度、息を吐いた。
「後にする」
「……後、でございますか」
「あぁ」
「その間、あの方は、この国の頁に載ったままでございます」
「載ってろ」
言ってから、俺は自分の言い方を聞いた。
まずい言い方だった。それでも、言い直さなかった。言い直せば、この年寄りは、俺が迷っていることを帳面に書く。
壇の下で、白い外套が動いた。
娘が、3段を上がってきた。
裸足の足が、石を踏む音がした。俺の前まで来て、止まった。近くで見ると、目の下に薄い影がある。20年、この国は、この娘をよく眠らせていない。
娘は、俺の掌の頁を見て、それから俺の顔を見た。
「ゼノ様」
「様は要らねえ」
「では、ゼノ」
娘は、そう言い直した。
そして、両手を、自分の胸の前で組んだ。親指だけが動いていた。
俺は、その指を見た。
その途端に、18年前が戻ってきた。回廊の曲がり角で、翼の畳み方が下手な娘が、同じ組み方をしていた。同じところが、同じように動いていた。
「わたしを、数えてくださいませんか」




