第190話 次に数える場所
階が、消えました。
上から順にです。いちばん高いところが細くなって、そこから下へ、糸を引き抜くように消えていきました。4本とも、同じ速さでした。
わたしは、壁に背をつけたまま、それを見上げていました。膝は、まだ立ちません。
村の広場に、白いものが3つ残りました。
3つとも、空を見ています。上を見て、そこに何も無いことを確かめて、また上を見る。同じ動きを、3度繰り返しました。
天界の者が、あれをするのを、わたしは初めて見ました。
「アステリア様。あれは、何をしているのですか?」
リィナ様が、そう訊きました。
胸に、光の帳を抱えたままです。腕の内側が赤くなっています。焼けたのだと思います。あの方は、それを持ち替えもしませんでした。
「帰る道を、探しています」
「無いのですか?」
「上が、閉じました」
リィナ様は、空を見上げました。
それから、わたしの方を見ました。訊きたいことがあるのに、先に膝を見た顔でした。
「立てないままですか」
「はい」
「なら、あとで背負います」
わたしは、その言い方に、少し笑いました。
この方は、「背負いますか」とは訊きませんでした。訊かれたら、わたしは断ります。
「ありがとうございます」
「お礼は、歩けるようになってからで結構です」
白いものの1つが、こちらへ来ました。
本を失った方です。両手が空いています。その手を、どう置いていいか分からない様子で、身体の前で組んだり、下ろしたりしていました。
顔は、見ても覚えられません。それでも、困っているのは分かります。
「……上が、閉じました」
「知っています」
「わたくしどもは、8つの中に入っておりません」
その者は、そう言いました。
「9番目の欄が下りましたときに、下に居た者は、欄の側に数えられます。……わたくしどもは、いま、あの方の数でございます」
リィナ様が、一歩、前に出ました。
剣の柄に手をかけましたが、抜きません。抜いても通らないことは、さっき確かめています。
「あなたたちは、この村の8人を持っていこうとしました」
「はい」
「いまも、そのつもりですか」
「読む本が、ございません」
腹の底が、少し冷たくなりました。この者は、やめたとは言いません。道具が無いと言っています。道具が戻れば、また同じことをします。
そういう作りの者たちです。18年前、わたしの前で、母を押さえに据えたのも、この者たちでした。
「その本は、返しません」
言ったのは、リィナ様でした。
「返さなくて結構です。……それは、あなたがたの村の頁ではございません」
「何ですって?」
リィナ様が、本を開きました。
わたしの方へ向けました。わたしは、そこに書かれた字を読んで、息が止まりました。
村の名ではありません。人間界の地名でもありません。
魔界の字でした。
東の領。1万1000。その下に、名が列になって並んでいます。その横に、数が振ってあります。冬を越せる者の数と、越せない者の数が、別の列になっていました。
越せない方の列に、線が1本ずつ引かれています。
「……これは」
「9番目の欄が空くまでの間、預かっていた頁でございます」
白いものは、空いた両手を、身体の前で組みました。
「下ろす先が決まりましたので、こちらへ持って参りました。……本来は、あの方にお渡しするものです」
わたしは、壁から背を離しました。
膝に力を入れましたが、立てません。両手を地面について、身体を起こしました。リィナ様が、わたしの肘の下に腕を入れました。
その腕は、細いのに、びくともしませんでした。
「アステリア様。これは、何の頁ですか」
「次に数える場所の頁です」
「次、というのは」
「人間界の村が、終わりましたので」
リィナ様が、黙りました。
本の頁を、指で1枚めくりました。その先にも、名が並んでいます。その次にも並んでいます。列の終わりが、見えません。
「何人分あるのですか?」
「1万1000です」
「ゼノ様は、これをご存じですか?」
「いいえ」
わたしは、そう答えました。
それから、空を見ました。階は、もうありません。あの方が上へ行った道も、下りてくる道も、いま、この空には1本もありません。
村の人が、家の陰から出てきていました。
蓑を被った父親が、先頭です。倅を持っていかれる方の、あの人です。その人は、白いもの3つを見て、それから、わたしたちを見ました。
そして、こう言いました。
「……あんたら、まだ数えられてるのか」
わたしは、答えられませんでした。




