第189話 2本あった
落ちている間、音が無かった。
18年前は、風の音がした。今度は何も無い。抱えているものが重いせいだと思った。実際には、重くはない。202人は、頁の中で、1行ずつ静かに並んでいる。
白が、剥がれた。
その先に、石があった。
天井だ。高い。梁の代わりに、石の肋が何本も渡してある。肋と肋の間に、色の入った硝子が嵌まっていて、そこから朝の光が斜めに落ちていた。
俺は、その光の中を、足から落ちた。
着いたのは、床ではなかった。
椅子の座面だ。硬い。石造りの椅子が、床から3段上がった壇の上に据えてある。俺は、その上に立っていた。座る理由が無い。
周りに、同じ椅子が8つあった。
8つとも、人が座っていた。
白い祭服だ。年寄りが6人、若いのが2人。こちらを見上げたまま、誰も立たない。立てない顔だ。
俺が立っているのは、9つ目の椅子だった。
いちばん奥の1人が、口を開いた。
「……20年、空いておりました」
「知ってる」
「その座は、名を記すことを、禁じられております」
「記すな、じゃねえ。記せねえんだ。記す場所が、いま俺の手にある」
俺は、掌を開いた。
掌の上に、頁があった。落ちる間に、こちらへ付いてきていた。白い。上から2行だけが濃くて、その下に、細かい字が長く続いている。
その先が、床まで垂れて、端が石の床に触れた。
そこから、人が出てきた。
1人目は、裸足だった。
3年前の服のままだ。麻の上着の肩が擦り切れていて、膝に泥がついている。泥は乾いていない。3年前の朝に付いた泥が、乾かないまま、ここに来ていた。
その男は、床に立って、自分の足元を見た。それから、自分の手を見た。
「……順のとおりに、参りました」
2人目が出た。3人目が出た。
速さが、だんだん上がった。10人を越えたあたりから、目で追うのをやめた。祭服の8人のうち、2人が椅子から滑り落ちた。誰も助けなかった。
大聖堂の床が、人で埋まっていった。
誰も、騒がなかった。
3年、白い場所で立っていた者たちだ。声の出し方を、まだ思い出していない。互いに顔を見て、それから、自分の首の後ろに手をやった。
手は、何も見つけられずに下りた。
最後に出てきたのが、ラントだった。
背は低い。痩せている。指の腹に、筆の胼胝がある。俺を見上げて、それから、後ろの202人を振り返った。
そして、数え始めた。
「……1つ。2つ。3つ」
「やめろ」
俺は、そう言った。
男が、口を止めて、こちらを見た。
「数えると、持っていかれる」
「わたくしが、でございますか?」
「俺だ」
男は、そこで口を閉じた。
それから、数えかけた指を、自分の袖の中へ入れて、握った。3年前に自分の名を名簿に書いた指だ。あのときも、この男は、こうやって握ってから書いたはずだった。
奥の扉が、開いた。
鉄の音が、堂の中で長く響いた。入ってきたのは、武装した男が20人と、その先頭に立つ痩せた男だ。左の袖に、赤い線が3本。顔に、見覚えがあった。
「エイドリク」
「……貴様」
審問官は、そこで足を止めた。
俺の顔を見たのではない。床に立っている202人を見ていた。この男は、そのうちの何人かの顔を知っている。その顔が、3年前と同じ服で立っている。
「何をした」
「連れて降りた」
「どこからだ?」
「あんたらが、20年空けてた椅子の上からだ」
エイドリクが、剣を抜けと言いかけた。
最後までは、言わなかった。奥の柱の陰から、白いものが出てきた。
裸足だった。
聖女だ。
白い髪。白い外套。歳はユーリカくらいだ。王都の広場で一度、遠くから見ている。あのときは、目がこちらに合っていなかった。
いまは、合っていた。
その娘は、堂を横切ってきた。
壇の下で足を止めて、俺を見上げた。その顔に、驚きが無い。待っていた者の顔でもない。何度も見たものを、また見ている顔だった。
「9番目の方」
「そう呼ぶな」
「では、何とお呼びいたしましょう」
「ゼノだ」
聖女は、その音を繰り返した。
字を覚える者のやり方だった。一度言って、口の中でもう一度言って、それから頷いた。
「あなたが座にお就きになりましたので、わたしは、もう数えられません」
「あんたが、何だと?」
「20年、この国は、数え終わった者を1人、聖女と呼んでおりました。……お気づきでしたか?」
娘は、自分の髪を横へ寄せて、項を、こちらへ向けた。白い。細い。そこに、線が引いてある。
2本あった。




