第188話 202
「落とせ」
1番は、答えなかった。4つが同時に、こちらへ半歩寄った。動きが揃いすぎていて、4つで1つの生き物に見えた。
「その前に、聞くことがある」
「伺います」
「欄には、何人書ける?」
「決まっておりません。欄の広さは、就いた者の器で決まります。……あなたの器は、いま、7でございます」
「7人ってことか?」
「いいえ。7の器が保てる分でございます。数までは、わたくしどもも確かめたことがございません」
俺は、9枚目の頁に手を置いた。
掌の下が、温かい。字が2つ載っているだけの白い頁が、人の肌ほどの温度を持っていた。18年、ここは空欄だった。それが、いま、誰かを入れるために温まっている。
「白い場所に、202人いるな」
「おります」
「あれを、ここへ入れる」
4つのうち、端の1つが、初めて音を立てた。
布の擦れる音だ。驚いた、という以外に取りようがない。1番は、その方を見もせずに、俺に向かって口を開いた。
「あの者たちは、数え終わっております」
「終わってると、どうなるんだ?」
「首の後ろに、線が2本ございます。2本目は、上で引かれました。……下から触れることは、できません」
「俺は、下じゃねえ」
1番が、黙った。
さっきと同じだ。出す順を探している。その間に、俺は9枚目の頁の、名が2つ並んだ下を、指で押した。
押した場所が、下へ伸びて、頁が長くなった。空いた白の上に、線が引かれていく。誰も書いていない。俺が押した分だけ、欄が自分で行を作っている。10行。20行。目で追うのをやめた頃には、白がずっと下まで続いていた。
「……止めてくださいませ」
「止めたら、何人残る?」
「残りません。あの者たちは、もう数え終わっております」
「終わった奴は、どこへ行く?」
「閉じた帳の外でございます」
1番の声に、初めて、抑揚があった。この者は、その先を見たことがある。
「外で、何がある?」
「何もございません。……数えられないものは、有るとも無いとも申しません」
白い場所で202人がどう立っていたかを思い出した。全員、別々の方を向いていた。1人だけ、こちらを向いていた。あの男は、3年、線の向きだけを見ていた。
見ていたものが、この先には無い。
「入れる」
俺は、そう言った。
「1人ずつ読むのは、手間だな。まとめて数える」
「数えれば、あなたが——」
「あぁ」
1番が言葉を切ると、4つが一斉に半歩下がった。止めることを、諦めたのではない。この者たちは、正す役だ。正す相手が同輩になったとき、下がる以外の作法を持っていない。
俺は、掌を頁に伏せて、白い場所を見た。見えた。厚みの中にある。202人が、別々の方を向いて立っている。順は、あの男が覚えている。
「ラント」
呼んだ名が、届いた。
202人の中で、1人だけが首を回して、こちらを見上げた。口が動いた。今度は、聞こえた。
「……1人ずつでございますか」
「まとめてだ。……そっちの順で頼む」
男は、順を言い始めた。
村の名から始まった。年の順ではない。着いた順だ。3年前に自分が並んだ列の、前と後ろを、この男は全部覚えていた。名を1つ言うたびに、白い場所で1人が首を回した。
その者から、9枚目の頁へ、静かに入っていった。
字は浮かない。行の上に、名が置かれる。その分だけ、欄が下へ伸びる。速さが、男の読む速さと同じだった。
俺は、その間、頁に掌を伏せたまま、何もしなかった。
68人目で、掌が熱くなった。
120人目で、腕が痺れた。
170を越えたところで、頁の縁が、俺の指の皮を焼いた。その下から、18年閉じなかった傷と同じ色のものが出てきて、欄の縁へ染みて、行の間を少し広げた。
201人目を言って、男は止まった。それから、もう一度、こちらを見上げた。
「……最後の1人は、わたくしでございます」
「順のとおりでいい」
「では、順に」
男が、自分の名を言った。
その瞬間に、白い場所から、人の形が全部消えた。あとに、何も残らなかった。そこは元から、通り道でしかない。
9枚目の頁に、名が204並んだ。
俺は、掌を離した。
震えていた。止めるのに、少し時間がかかった。それから、1番を見た。
「落とせ」
「承知いたしました」
1番は、少し間を置いてから、これだけは申し上げます、という言い方で、口を開いた。
「正される日は、決まっております」
「いつだ」
「あなたが、下で誰かを数えた日でございます」
俺が聞き返す前に、足の下の白が抜けた。
18年前と同じ抜け方だった。違うのは、落ちながら上を見たときに、覗き込んでいる者が誰もいないことだ。




