第187話 下ろす先
頁が、1枚減った。
下の村で、誰かがそれを抱えた。その手の形が、白の上に浮いて、すぐ消えた。細い手だ。指の内側に、剣の柄の胼胝がある。
俺は、その手形を見て、笑いそうになった。読まれた側が、読む道具を持っていった。
笑う前に、白が動いた。
俺の周りだ。何も無かった場所に、立っているものが増えていた。4つ。7人のうち、下へ降りた3つを除いた残りだ。
4つとも、本を持っていない。
「——9番目」
真ん中の1つが、そう言った。
声が、数える者とは違った。数える者の声は、書いた字を読む声だ。この声は、覚えたものを口から出す声だった。
「1番か」
真ん中の1つが、頷くように首を傾けた。
「あんたら、俺を正しに来たのか」
「参りません。あなたは、いま、欄をお持ちです。欄を持つ者は、7人の同輩となります。……同輩を正す仕組みは、この帳にありません」
18年前、俺はここへ品として運ばれた。番号で呼ばれ、遅うございました、と言われて床を抜かれた。同じ場所で、同じ種類のものが、俺を同輩と呼んでいる。
「都合のいい仕組みだな」
「仕組みは、都合で作ります」
「それで、何しに来た?」
「欄の中身を、正しに参りました」
1番は、そう言って、9枚目の頁を見た。
そこに、名が2つ並んでいる。俺の名と、その下の1行だ。9枚目の頁は、他より少しだけ白い。下の1行の字は、まだ輪郭が滲んでいる。書かれてから、いくらも経っていない。
「あなたご自身は、同輩となります。……ですが、欄へお入れになったものは、違います」
「中身は正せる、と」
「はい」
「俺が、退けと言ったら?」
「退きます。……そのうえで、明日、また参ります」
俺は、頁の前に立って、9枚目と4つの間に、身体を入れた。それから、自分の掌を見た。6枚が、まだ重なったままだ。極級だ。この場所で、これを振れば、頁ごと消える。
そうすれば、下の8人も消える。
「1番。この座を空けたら、どうなる?」
「空きます」
「中身は?」
「欄が空になりますので、中に書かれた名も、元の頁へ戻ります」
俺は、そこで少し考えた。
戻れば、あの娘の名は人間界の頁の4行目に戻る。その行を、下にいる3つが読む。読まれれば、2本目が引かれる。
「座に就いたまま、下へ行けるか」
「行けません」
「なんでだ?」
「欄は、上にあります。欄を持つ者は、欄のある場所にいる。……そう定められております」
「セレスティアは、下へ降りたぞ」
「あの方は、ご自分で名を削られました。……名を削れば、座は空きます。あの方は18年、岩に足を取られておいででした」
峠の祠を思い出した。膝から下が岩になっていた女だ。あれは、下へ降りるための代金だった。あの女は、それを払って、俺の落ちる先を作った。
同じ払い方を、俺がすれば、9番目の欄は空く。
「両方は、無理だな」
1番は、否まなかった。
「座を持って、ここにいるか。座を捨てて、下へ行くか」
「その2つとなります」
俺は、4つの白いものを見ながら、自分が何を握っているかを確かめた。極級が6枚。18年前に吸った息が1つ。返していない返事が1つ。それから、9番目の欄に、名が2つ。
握っているものが、多すぎる。
「1番」
「はい」
「3つ目は無いのか」
1番は、そこで、初めて黙った。
答えが無いのではなかった。答えがあるのに、口に出す順番を探している間だった。この者たちは、口で覚えている。覚えたものの中に、出したくないものがあるらしい。
俺は、待った。
「……あります」
「欄ごと、下へ落とします」
俺は、聞き返す前に、下を見た。白い床の下に、厚みがある。厚みの底に、人間界の地面がある。頁を1枚、あの底まで落とすという話だ。
「落としたら、どうなる?」
「9番目の座が、下に置かれます。あなたは、下で座をお持ちになります」
「それで、あんたらに何の得がある?」
「帳が閉じます」
1番は、そう答えた。
「上に9つ目の欄があるかぎり、この帳は開いたままとなります。下へ置けば、上は8つで閉じます。……閉じた帳の外にあるものは、こちらの数には入りません」
俺は、北の砦の天幕で聞いた話を思い出した。
閉じた帳の外に出たものは、あちらの好きにしていい。あの書記は、そう言った。閉じるために、この連中は1つ足りない数を18年探していた。
いま、向こうから、閉じ方を差し出してきている。
「落ちた先は、どこだ」
「名を記すことを禁じた座が、下に1つあります」
その答えで、ようやく話が繋がった。
ソルディア聖国。空席が1つある。端から9番目だ。石の谷のリディアが、そう言った。20年、誰も座らせなかった椅子が、あの国にある。
あれは、空けてあったのではない。
下ろす先として、取ってあった。




