↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
186/300

第186話 その2行目は

膝が、地面に着く前に止まりました。


掴んでいたのはヴィント様の手です。熱い手でした。火を扱う人の掌は、いつもこうです。掴まれたまま、わたしは自分の耳を疑いました。読み上げが、途中で止まっていたからです。



白いものは、口を開けたままでした。


次の音が出てきません。喉は動いているのに、音にならない。読もうとしている名が、口の中で見つからないという顔でした。顔は覚えられないのに、困っているのだけは分かりました。


「首の後ろを、見せてください」



ヴィント様が、わたしの襟を下げて、少し黙りました。それから、指で一度、そこを擦りました。痛みはありません。冷たいものも、ありません。


「消えています」


「1本目がですか?」


「1本も、ありません」


わたしは、立って、剣の柄を握り直しました。そうしながら、村の人に声をかけようとしました。円のすぐ外にいるのは、蓑(みの)を被った父親です。倅を持っていかれる方の、あの人です。


その人が、わたしを見て、口を開いて、止まりました。さっきの白いものと同じ顔です。呼ぼうとして、呼ぶものが見つからない顔でした。


「……あんた」


「はい」


「あんたの名は、何だった?」



わたしは、答えました。


その人は、聞こえなかったという風に首を傾けました。ヴィント様が、指で地面に字を書きました。その人は、それを読んで、声に出しました。


音が、途中で消えました。


「上で、何かが起きましたね」


ヴィント様が、そう言いました。


「読まれる前に、誰かが先に読んだのだと思います。……僕のときは、こうはなりませんでした」


「ゼノ様ですか?」


「他にいますか」


わたしは、空を見ました。


階は、4本のままでした。3本の下に、白いものが3つ立っています。1つはわたしの前で口を開けたまま止まり、残る2つは、円の中の8人の方を向いていました。


そのうちの1つが、また読み始めました。


今度は、わたしの名ではありませんでした。


あの父親の名でした。名の後ろに、生まれた年が続きます。住んだ場所が続きます。数えられる理由が続きます。読み終われば、2本目が引かれます。


わたしは、走りました。



間に入って、剣を突き出して、白いものの喉へ入れました。入る、と思いました。実際には、刺さりませんでした。剣の先が、布(ぬの)を裂くときの手応えも無く、そのまま通り抜けました。


それなのに、読み上げが止まりました。



わたしが、そこに立っていたからでした。


白いものが、わたしの方を見て、また口を開けて、閉じました。わたしが、この者には読めない。読めないものが、読む相手との間に立っている。


「……あの」


ヴィント様が、後ろから声をかけました。


「動かないでください。……いま、あなたが盾になっています」


「わたしは、何にもされないのですか?」


「されません。帳に、あなたが居ませんので」



足の裏の痛みを思い出しました。3日、走ってきた足です。布を解いて巻いた足です。その足で、いま、わたしはこの村の8人の前に立っています。


誰も、わたしの名を呼べません。



胸の奥が、少し寒くなりました。


怖いのとは、違いました。剣を抜いたまま、わたしは自分の名を一度だけ、口の中で言ってみました。言えました。聞く人が、いないだけです。



白いものが、本を開き直しました。


わたしは、その本を見ました。光で書かれています。紙ではありません。ゼノ様は、これを闇で滲ませて潰されたと聞いています。わたしに闇はありません。


ありませんが、手はあります。


わたしは、剣を捨てて、両手で、その本を掴みました。掴めるはずがありません。光です。手は通り抜けるはずです。


通り抜けませんでした。



指が、頁(ページ)の端にかかりました。


その瞬間に、白いものが、初めて身体を引きました。この者たちは、下のものに触れません。触れないかわりに、下のものからも触れられない。


帳に居ない手だけが、触れます。


わたしは、引きました。


本は、思ったより重くありませんでした。軽いのに、抱えると、腕の内側が焼けるように熱くなりました。そのまま、わたしは3歩下がって、それを胸の前で開きました。



1枚目に、欄がありました。


ヴィント様が息を呑んだのが、後ろで聞こえました。欄の1行目に、名が書いてあります。


ゼノ。



わたしは、その2文字を見て、指で触れようとして、やめました。その下に、もう1行ありました。書かれたばかりの字でした。まだ乾いていない字のように、輪郭が少し滲んでいます。


その2行目は、わたしの名でした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。