第183話 止まりません
3日で、村に着きました。
走れたのは、最初の2日だけです。3日目は、足の裏の豆が潰れたので、布で縛って歩きました。布は、手に巻いていた分を解いて使いました。
手は、そのまま出しておきました。乾いた方が、早く治ります。
村の入口で、最初に見えたのは、煙でした。
1本だけ、細く上がっています。焼けた煙ではありません。誰かが、火を焚いています。
わたしは、その煙の方へ歩きました。
広場に、人が8人立っていました。
動きません。目は開いています。首の後ろに、線が2本ありました。
8人の足元に、円が1つ引いてありました。その外に、男が2人いました。1人は、蓑を被った村の人です。もう1人は、ヴィント様でした。
「リィナ様」
「ゼノ様は?」
「峠です。……昨日の朝から、お戻りになりません」
「歩いて行かれたのですか?」
「いいえ。……空から、行かれました」
空を見ました。何もありません。あるのは、北の方に、光の線が1本だけです。
「アステリア様は?」
「あちらに」
ヴィント様が指したのは、家の壁際でした。
天使の方が、そこに座って、背中を壁につけていました。翼が、片方だけ開いていました。畳めないのだと、すぐに分かりました。
わたしは、その前に膝をつきました。
「立てますか?」
「……リィナ様」
「立てますか、と訊いています」
「立てません。……昨日から、膝が」
わたしは、その方の腕を取って、肩に回して、持ち上げました。持ち上がりました。この方は、軽いです。わたしの半分くらいしかありません。
「痛むところを、言ってください」
「……手が」
「わたしの手ですか?」
「はい。……血が、出ています」
わたしは、自分の掌を見ました。
割れていました。走っている間に、また開いたようです。
「これは、いいです」
「よくありません」
「よくないですが、いまは、いいです」
火は、ヴィント様が焚いていました。
薪ではありません。この方の火魔法です。火魔法で湯を沸かして、8人の足元に置いています。
「それは、何のためですか?」
「……温かい方が、いいかと思いまして」
「効きますか?」
「分かりません」
ヴィント様は、そう答えてから、少し笑いました。笑い方が、昔と違いました。大学で見たときのこの方は、笑うときに、必ず先に人の顔を見ていました。
いまは、見ませんでした。
「リィナ様。ゼノ様に、止めろと言われています」
「止まりません」
「そう仰っていました」
「では、なぜ仰るのですか?」
「止まらないのを、見ていろ、と」
少しだけ、腹が立ちました。当たっていました。
あの方は、わたしの走る速さを知っていて、止めろと言いました。そう言われたら、わたしは速く走ります。
空が、光ったのは、その時でした。
南ではありません。真上です。
線が、5本。
5本とも、村の真上に立っていました。
わたしは、剣を抜こうとしました。柄が滑りました。掌の血です。
持ち直して、抜きました。
「ヴィント様。あの8人を、下がらせられますか?」
「動きません。……動かせないんです」
「では、わたしが前に立ちます」
柄の革が、掌の割れたところに擦れました。
「リィナ様」
「あなたは、下がってください」
「下がりません」
ヴィント様は、そう言ってから、掌に火を出しました。その火が、揺れませんでした。この方の火は、いつも最初に揺れます。
「僕は、一度、読まれました」
「読まれた、というのは?」
「名を、読まれました。……そうすると、その、止まります」
「戻ったのですか?」
「ゼノ様が、線を食ってくださいました」
「では、また読まれたら、止まりますね?」
「止まります」
ヴィント様の掌の火は、それでも揺れませんでした。
「それなら、下がってください」
「下がりません」
わたしは、この方の顔を見て、下がらないのだと分かりました。この方は、父上が流されてから、一度も、自分から下がっていません。
5本のうちの1本目が、下から明るくなりました。
段を踏む音がします。降りてくる者が、階を1段ずつ踏んでいる音です。
わたしは、剣を構えました。腕が、震えました。
怖いからではありません。3日、走ってきたからです。腕が上がりません。上がりませんが、剣は持てます。
持てるなら、立てます。
1本目から、白いものが降りてきました。
次に、2本目。3本目。
3つ目が降りたところで、4本目が、途中で止まりました。
止まったのではありません。
4本目の中を、上へ何かが通りました。
わたしは、それを見て、剣を下げそうになりました。下げませんでした。見間違いだと思いました。
上へ通ったものは、黒でした。
闇です。あの方の闇です。4本目の階の中を、下から上へ、闇が1枚、走っていきました。
その先は、空の上です。
「ヴィント様。いま、上へ行きましたか?」
「……はい」
「ゼノ様ですか?」
「分かりません。……ですが、あの闇は」
4本目が、消えました。
中を通られた階は、そのまま解けて、光の粒になりました。粒が落ちてきて、村の屋根の上で消えました。
残りは、4本です。
降りてきた3つが、円の方へ進みました。
わたしは、その前に立って、剣を持ち直しました。
1つ目が、口を開きました。
「リィナ」
名を、呼ばれました。
膝が、抜けました。
地面が近くなる途中で、誰かがわたしの腕を掴みました。その手が、熱かったです。
火を出していた方の手でした。
わたしは、ゼノ様に、まだ返事をしていません。




