第181話 18年、預かっております
「順を聞く」
俺は、そう言った。
「あんたが言う順でいい。1つ目から喋れ」
「……せっかちですね」
「1刻しかねえんだろうが」
セレスティアは、そこで少し、口の端を上げた。
上げ方が、アステリアと違った。この女は、口の端を片方だけ上げて、下ろすのが速い。
「1つ目。……わたくしは、あなたを品として要求しました」
「知ってる」
「7通目を書いたのは、わたくしです。書かなければ、別の者が書きました」
「別の奴が書いたら、どうなった?」
「あなたは、白い場所に立っていたはずです。わたくしが書きましたので、受け取る場所を、わたくしが決められました。……決めた場所が、あの井戸です」
「2つ目」
「あなたは、あの日、わたくしの娘と会っていますね」
俺は、そこで黙った。
記憶に無い。覚えていないことを覚えていないと言うのが、この18年で、俺には一番難しい。
「……覚えてねえ」
「はい。覚えていません」
「なんで、あんたが知ってる?」
「消したのは、わたくしです」
風が、岩の上を通った。北から来て、祠を抜けて、南へ落ちた。
祠の石が、1枚だけ、風の音を高く返した。上の角が欠けている石だ。欠けたところで、音が変わる。
「なんで消した」
「あの日、あなたが返事をしていたら、あなたは、あの子を連れて落ちていました」
「連れて落ちたら、どうなる?」
「2人とも、届きません。受け取る場所には、1人分しか置けません」
18年前の白い回廊を、もう一度思い出そうとした。
思い出せたのは、壁の字と、後ろで言われた「遅うございました」だけだ。その前に誰と立っていたかは、やはり抜けたままだった。
「返事の中身は、あんたが知ってるのか?」
「知りません」
「消したんだろうが」
「消したのは、あなたの側だけです。……言った側は、覚えています」
「3つ目」
「もう1刻もありません」
「じゃあ、先に食う」
俺は、岩に手を着いて、線の走っているところを指でなぞった。祠の石の下から出て、この女の膝へ入っていく細い線だ。
俺は、闇を1枚組んだ。指1本ぶんで足りた。
「お待ちなさい」
「待たねえ」
「あなたは、戻れなくなります」
「戻る話は、あとだ」
言ってから、自分の言葉に引っかかった。
8年前、ルシェも同じ順で決めた。戻る話を後に回して、鍛冶に穴を開けさせ、足を入れた。あの女の足は、いまも向こうへ開いたままだ。
それでも言い直さずに、俺は闇を線の上へ落とした。
落ちた闇が、線に食いついて、細くなった。その分だけ、岩の色が変わった。膝の周りが、端から肌の色に戻っていく。
戻るのが、速い。18年かけて岩になったものが、20を数えるうちに肌へ戻った。
セレスティアは、声を出さずに、自分の膝を見ていた。その間、両手は岩の上に置いたままで、動かなかった。
戻りきったところで、この女は、初めて息を吐いた。
長い息だった。
「……18年、痒うございました」
俺は、その言葉に返せないまま、線の残りを見た。
祠の石の下から出ていた線は、こちら側の端を失って、宙に浮いていた。それが、東の方へ、ゆっくり流れ始めた。
「切れます」
「あぁ」
「井戸の石が、落ちます」
「落ちるな」
俺は、その線を見ながら、砦の中庭を思い出した。4本と弧の彫られた1枚石だ。200年、空だった。その石に座を彫ったのが、18年前のこの女だ。
あれが落ちれば、俺の座標が消える。
それでも、ルシェの足は残っている。あの円を人の通る幅まで開けるには、極級が要る。
「跨げば、器が作り直されるんだったな」
「はい」
「いまの俺が跨いだら、どこへ届く?」
セレスティアは、俺の顔を見て、少し、答えるのを遅らせた。考えていたのではない。言うかどうかを決めていた顔だった。
「跨ぐ前の魔力量では、決まりません」
「それは聞いた」
「決まるのは、跨いでいる間に、何を握っているかです」
「握る?」
「18年前、あなたは何も握らずに跨ぎました」
セレスティアは、俺の空いた両手に目を落とした。
「ですから、器だけが作り直されて、天級で止まりました。……握っていれば、その分だけ、上へ行きます」
「何を握りゃいい?」
「重いものを」
「重いってのは何だ?」
「手放せないものです」
東の空を見た。色が抜けきっている。日が出る。
その瞬間に、線が切れた。
音は、しなかった。流れていた線が途中でほどけて、光の粒になった。粒は上へ行かずに、下へ落ちながら消えた。
同時に、遠くで、地面が鳴った。
南だ。砦の方角だった。
石が1枚、井戸の底で割れた音が、ここまで届くはずがない。届くはずがないのに、来た。俺の中の、座標が置いてあったところが、いま空になった。
セレスティアが、岩から足を抜いた。
立とうとして、一度、膝から崩れた。18年、使っていない脚だ。
俺は、その腕を取った。
この女が自分で立とうとしたので、手を離した。
2度目で立って、祠の石に手をついた。
「……あなたに、返す物があります」
「3つ目か?」
「はい。あの日、あの子の言った言葉を、わたくしは捨てませんでした。……あなたの側から消して、こちらへ移しただけです」
「移した先は、どこだ?」
「わたくしです」
セレスティアは、空いた方の手を、自分の胸に当てた。
「18年、預かっております。……聞きますか」
聞くと答える前に、口が動いていた。




