第175話 誰も見ていないのは、不憫でございます
1人につき、闇を1枚。
22人で、22枚だ。数だけなら、どうということはない。問題は、1枚組むたびに、線が俺の方を食い返してくることだった。
3人目で、指の皮が剥けた。
7人目で、爪が2枚、割れた。
11人目のところで、アステリアが俺の腕を掴んだ。
「止めてください」
「あと11人だ」
「あなたの手が、上へ写っています」
「写る?」
「線を食うたびに、帳に、食われた跡が残ります。……跡の形は、食った者の手の形です」
彼女の指が、俺の腕に食い込んでいた。
「11人ぶん食えば、上には、同じ手が11回並びます。そこまで並べば、誰の手かが決まります」
俺は、自分の掌を見た。
皮が剥けて、下の肉が出ている。血は途中から出なくなって、代わりに、指の先が白くなっていた。
「決まって、どうなる?」
「あなたが、数えられます」
「数に入ってねえ者を、数えられるのか」
「入れられます」
アステリアの声が、低くなった。
「上は、空いた欄に、名の代わりに手の形を書きます。……書かれてしまえば、あなたは帳の中の者です。帳の中の者は、正されます」
俺は、12人目の前に立っていた。
12人目は、婆さんだった。60をいくつも越している。腰が曲がっている。その腰のまま、立って、西を向いていた。
俺は、その首の後ろに、12枚目の闇を置いた。
アステリアが息を吸って、止める音がした。
そのまま、何も言わなかった。
俺は、13人目に移った。
22人目を終えたのは、日が落ちてからだった。
最後の1人は、7つか8つの子供だった。子供の首は細い。そこに、線が1本だけ、はっきり残っていた。
食った。
受け止めた子供は、軽かった。受けたときに、腕が余った。
俺は、広場の石に座って、両手を膝の上に置いた。
その手が、自分のものに見えなかった。指が3本、思った通りに曲がらない。
ヴィントが、水の袋を持ってきた。口を開けて、俺の手の上へ傾ける途中で、こぼした。
「……すみません」
「いい」
広場には、8人が残っていた。暗くなっても、立ち方だけが、他の者と違っていた。
2本の者だ。倅と、その嫁と、あと6人。2本の者は、22人が戻ったあとも、同じ姿勢のままだった。
戻った22人は、その8人を囲んで、誰も触らなかった。
触ると崩れると思っている。
最初に触ったのは、あの50がらみの男だった。
男は、倅の頬に手を当てて、しばらくそのままでいた。それから、嫁の方へ回って、同じことをした。途中で、足が一度もつれた。
「陛下」
「あぁ」
「この2人は、どうなりますか」
俺は、アステリアを見た。
娘は、答える前に、一度、目を伏せた。顔を上げて、男の方を向いた。この娘は、伝えるときに、必ず相手の正面に立つ。
「7人が降りたときに、一緒に持っていかれます」
「……いつでございますか」
「道が均され終わったときです」
「均すのは、あと何人だ?」
俺は、そう訊いた。
「この村は、終わりました」
「村の先は」
「峠まで、集落が3つございます」
答えたのは、ヴィントだった。
測量図を広げていた。指が、3か所を順に押さえた。手つきが、さっきまでより落ち着いていた。
「1つ目が14軒。2つ目が9軒。3つ目は、峠の宿でして、常住は4人です」
俺は、立ち上がった。目の前が一度、暗くなった。闇を組みすぎた。
「今夜、次へ行く」
「ゼノ様。お手が」
「手は要らねえ。線を食うのに、力は使わぬ」
言ってから、自分の言い方に、引っかかった。
使わぬ、と言った。人間界で18年、俺は一度もこの言い方をしなかった。魔界にいたひと月で、戻っている。
「行かせません」
そう言ったのは、アステリアだった。
「22人ぶん、もう並んでいます。……次の村でも食えば、もっと並びます」
「並んだら、どうなる?」
「今度は、形ではなく、あなたの器が読まれます」
俺は、その娘を見て、その先の8人を見た。倅の背中が、こちらを向いている。右の肩だけが、少し前に出ている。石を積むときに、いつも同じ側で担いできた男の肩だ。
「じゃあ、この8人は置いていくのか」
「……はい」
「置いていったら、持っていかれるんだな」
アステリアは、8人の方を見ないまま、うなずいた。
「なら、俺はここにいる」
「ゼノ」
アステリアが、名を呼んだ。
様を付けなかったのは、18年前と同じだ。この娘は、止めたいときにだけ、名だけで呼ぶ。
「母が、待っています」
「待たせる」
「削れます。……1日で、指1本ぶんです」
「あんたの母親は、18年待った」
アステリアの喉が、一度動いた。
「18年待った奴が、あと3日で死ぬのか?」
「……分かりません」
「なら、3日は俺の勝手だ」
俺は、そう言って、広場の端へ歩いた。
荷から蹄鉄を1つ取って、8人の立っている地面に、円を1つ描いた。石の谷で見た二重円ではない。ただの円だ。線を引く道具が、これしか無かった。
その円の上に、闇を1枚、寝かせた。
「陛下」
50がらみの男が、そう言った。
「わたくしどもは、どういたしましょう」
「村を出ろ。南へ2日下りたところに砦がある」
「2人を、置いてでございますか」
俺は、その問いに、すぐ答えなかった。
答えが無かった。そういうときに、俺は喋らない。18年前は、無いときにも喋った。
男は、待った。やがて、こう言った。
「わたくしは、残ります」
「残っても、何もできねえぞ」
「できません。……ですが、倅が持っていかれるときに、誰も見ていないのは、不憫でございます」
俺は、闇の上に置いた手を、そのままにした。
アステリアは、名を覚えないと言った。覚えると、数えられなくなるからだ、と。
この男は、逆のことを言っている。
村の者が、家へ戻り始めた。
荷を作っている。戸を開ける音と、縄を引く音が、1軒ずつ増えていった。その中で、広場だけが静かだった。
俺は、円の中の8人を見ていた。
その夜、空の線が、太くなった。
真上ではない。北の、峠のあたりだ。細い1本だったものが、2本になった。2本目は、1本目より少し暗い。
「アステリア。2本目は何だ?」
「……降り口です」
彼女は、そう答えた。




