↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
174/300

第174話 字を書く者の手でございました

俺は、その麦を担いでいた男の首の後ろを見た。


見るために、男の頭を前へ倒した。髪の生(は)え際の下に、線が1本あった。指で押しても、動かない。


縦だ。爪で掻(か)いた傷に似ているが、傷ではない。皮膚の上には何も無くて、その下に、線が1本引いてある。



一昨日の朝、砦の中庭で、俺は同じものを見ている。あのときは、3本並んでいた。


天界の兵の首の後ろには、これが3本あった。3本を食ったら、端から白くなって消えた。


この男には、1本しかない。



「アステリア」


アステリアが、俺の横に膝をついた。


「3本で、あっちの兵だな」


「はい」


「1本は、何だ?」


「……印です。数え終わったときに、2本目が引かれます」



「3本目は」


「引かれません」


彼女は、男の首から目を離さずにいた。


「3本目を引かれるのは、上で作られた者だけです。……下の者は、2本で終わります」


「終わると、どうなる?」


「持っていかれます」



俺は、その男の首に、指を1本当てた。


指の下が、冷たかった。人の肌の冷たさではない。一昨日の朝、井戸の底で1枚石に触れたときと、同じ冷え方だった。


闇を1枚組んで、指の先に載せ、そのまま線の上へ置いた。


途端に、闇が動いた。食っている。俺の闇は光を食う。この線は、光でできている。


線が、下から上へ短くなって、消えた。



同時に、男の膝が抜けた。


俺は腕を出して、その体を受けた。全体重が一度に来た。50がらみの、麦を担いで生きてきた男の重さだった。



「ヴィント」


「は、はいっ」


「水を出せ」


「あ、……はい。あります」



男は、俺の腕の中で息を吸って、咳をした。


それから、目が動いた。俺を映して、俺の後ろへ抜けた。その先を見た顔が、固まった。


俺は振り返った。


30人が、まだ立っていた。



「……ミラ」


男は、そう言った。


「ミラ。……起きろ」



俺は、その名の者を探した。探すまでもなかった。上を向いている若い女だ。麻(あさ)の紐で髪を束ねた、20そこそこの女。


「あんたの娘か」


「嫁でございます。……倅の、嫁で」


「倅は、どこだ?」


「そこに」



男が指したのは、女の左にいる若い男だった。


背が高い。肩が張っている。石を積む普請(ふしん)の腕だ。右の肩だけが、少し前に出ている。


俺は、その倅の首の後ろを見た。


線が、2本あった。



「アステリア」


「……2本です」


「間に合うか」


「分かりません」


彼女は、2本の線を見ていた。


「2本引かれた者を、わたしは、戻したことがありません」



俺は、闇を1枚組み直して、倅の首に置いた。闇は1本目を食って、2本目に触れた。


その瞬間、弾かれた。


俺の指の上で潰れた闇に、手の甲の皮を1枚、持っていかれた。その下から、血ではないものが出た。



「2本目は、こっちのもんじゃねえな」


「はい。……2本目は、上で引かれます」


「上の線を食うには、上へ行くしかねえのか」


「行っても、食えません。引いた者の手の中にありますので」



俺は、闇魔法の陣を5枚重ねて、押した。


闇は2本目の線に当たって、止まった。そのまま、動かない。手応えが、ルシェの足の円を押したときと同じだった。


天級では、届かない。



「陛下」


後ろで、男が言った。


この村の男は、俺を知らない。知らないのに、そう呼んだ。


振り返ると、男は、地面に膝をついていた。



「……いま、白いところにおりました」


男は、膝をついたまま、息を継いだ。


「立っておりました。動けません。向きも変えられません。……ですが、見えます」


「何が見えた?」


「人が、大勢おりました」



俺は膝を折って、この男の目の高さに合わせた。何も訊かずに、続きを待った。


男は、自分の手を見ていた。それから、口を開いた。


「わたくしの前に、若い男が立っておりました。……こちらを向いておりました」



「向いてたのか」


「はい。……あそこで、こちらを向いていたのは、その者だけでございます」


「喋ったか」


「口が動きました。声は、ございません」



「何て言った?」


「読めませんでした」


男は、指で、地面に線を引いた。線は、3本になった。


「……こう、3つでございます。3つ、口が動きました」



俺は、その3本の線を見て、一昨日の朝を思い出した。俺が白い場所を通ったときにも、1人だけ首を回して、口を3度動かした。


同じ者だ。



「その男は、どんな身体だった?」


「若うございます。30を少し出たくらいで」


「背は」


「わたくしの倅より、低うございます。……ただ、手が」


男は、自分の右手を上げて、指の付け根を左手で押さえた。


「ここに、胼胝(たこ)がございました。筆の胼胝でございます。……字を書く者の手でございました」



俺は、立ち上がった。膝が一度鳴った。その音が、自分の耳に遠かった。


18年、名簿を書いていた男がいる。字の読めない父親の代わりに、毎年、誰を出すかを紙に書いていた男だ。3年前に、自分の名を、自分で書いた。



「アステリア」


「はい」


「白い場所の連中は、動けねえんだな」


「動けません」


「じゃあ、あいつは、なんで首を回した?」



彼女は、そこで黙って、上を見た。その先に、光の線がある。北へ折れて、この村の真上を通っている、細い1本だ。


「……回せる者が、1人だけいます」


「誰だ」


「帳に、名が2つある者です」



「2つ?」


「出された者の名と、出した者の名です」


彼女は、光の線から目を下ろした。


「同じ手で書かれた場合に、限ります。……上では、それを1本の線で繋ぎます。繋がれた者は、繋がれた分だけ、動けます」



俺は、北の砦の天幕で見た紙を思い出した。3行目に、俺の名と、もう1つの名が、1本の線で繋がれていた。



「その線の片っぽが俺なら、あいつは俺を見られるのか」


「見られます」


「俺からは」


「見えません。……あなたは、名が載っていませんので」



俺は、上を向いている女の横を通り、まだ立っている30人の間を歩きながら、1人ずつ首の後ろを見た。


1本が、22人。2本が、8人。


グランの倅は、あの白い場所から、3年、こっちを見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。