第166話 同じ夜を、いま2人で数えております
砦から城まで、俺は寝ずに戻った。
その足で階段の下へ行くと、ルシェはそこにいた。3日前と同じ段に座って、同じように右足を投げ出している。違うのは、膝の上に、ミトが座っていたことだった。
2人とも、何も喋っていなかった。
「グランは?」
「腕を1本、失くした」
「……生きておられますか」
「生きてる」
ルシェは、ミトの頭に手を置いて、そのまま動かさなかった。
俺は、段に腰を下ろして、ルシェの足に掌を当てた。掌の下で、また鳴った。今度は、間が長い。2つ打って、待って、また2つ打つ。
向こうは、諦めていない。
11を聞いてから、3日が経っている。
「ヴェルナを呼べ」
ミトが、膝から下りて、階段を駆け上がった。段を1つ飛ばしで上がる。この城へ来た日は、床に膝をつくことにだけ慣れた子供だった。
いまは、走る方が速い。
ヴェルナは、すぐ来た。階段の3段上に立って、俺の言葉を待った。18年前と同じ立ち方だ。
「向こうと、話をする」
「読めない字でございますか」
「字は使わねえ。数だけだ」
「打つ数で、何を決めますか?」
「いつ開けるかだ。こっちが特級魔法で押す。向こうも同じ刻に押す。両側から押しゃ、拳3つ分が肩の幅になる。……ならなけりゃ、俺の腕が向こうで千切れる」
「では、刻を合わせるだけでございますね」
「それだけだ」
ヴェルナは、階段の下を見た。
「合いません」
「なんでだ?」
「この界の鐘は、6つでございます。……向こうは、11でございました」
俺は、3日前にルシェの足が鳴らした数を、たどり直した。11。あれは、向こうの鐘が11鳴ったところで打った数だ。
こちらの1日は、鐘6つで回る。
向こうの1日は、11で回る。
数が合っても、指している刻が違う。
「6と11で、同じ刻はあるか」
「ございません」
ヴェルナは、そう答えてから、袖の中から炭を出して、階段の石に線を引き始めた。
引いた線が、2本。上の線に、印を11。下の線に、印を6。
「1日の長さは、同じでございます。この界の1日と、人の界の1日は、18年、ずれておりません」
「同じなのか?」
「同じでございます。18年、教団の文で確かめております。……違いますのは、区切る数だけでございます」
俺は、その2本の線を見て、印の位置がずれているのを確かめた。上は11等分、下は6等分。重なるのは、両端だけだ。
「端は、合うな?」
「合います。1日の初めと、終わりだけでございます」
「なら、夜明けだ」
「夜明けは、この界と人の界で、同じ刻に参ります。……ですが、我が君」
「何だ?」
「どの日の夜明けかを、伝えねばなりません」
俺は、黙って階段の石の線を見た。刻は合わせられる。日は合わせられない。向こうがいま何日目にいるかを、こちらは知らない。
こちらが「3日後」と打っても、向こうの3日後が同じ日とは限らない。
「ルシェ」
ルシェが、顔を上げた。
「あんた、足で、何を感じる?」
彼女は、足の指を一度曲げてから、こう答えた。
「温度でございます。……朝は冷たく、昼は温うございます。夜は、また冷たくなります」
俺は、掌を当て直した。当てた下の温度は、いま、低い。この界は、夜だ。
向こうも、低い。
「同じだ」
「はい?」
「向こうも、いま夜だ」
ヴェルナが、炭を落とした。拾わずに、階段の線を見た。その目が、また速く動いた。
「では、日は数えずに済みます」
「あぁ」
「同じ夜を、いま、こちらと向こうで数えております。……次の夜明けを『1』と打てば、向こうも、それを『1』と数えます」
俺は、石を取って、ルシェの足の横の床を、一度打った。
間を空けて、3度打った。
返ってきたのは、1度と、3度だった。同じ間の空け方だ。向こうは、俺の打ち方を真似た。真似ただけかもしれない。確かめる方法が、1つある。
俺は、2度打った。
返ってきたのは、2度ではなかった。
3度だった。
「……数えてやがる」
俺は、そう言った。
向こうは、俺が2と打ったのに3と返した。直そうとしている。1と3で約束したのに、こちらが2と打ったから、3だと言い直した。
「我が君。向こうにおりますのは、どういう者でございましょう?」
「勘定のできる奴だ」
「魔法は?」
「使えるはずだ。使えなきゃ、押せねえ」
俺は、そう答えてから、もう一度、3を打った。
3が返ってきた。
3日後の夜明け。
決まった。
その夜、ミトが厨房から出てこなかった。
見に行ったルシェが戻ってきて、階段の下で俺に言った。
「竈の前に座っております。……火の番をすると申しております」
「火はついてるのか?」
「消えております」
厨房へ行くと、ミトは竈の前にいた。膝を抱えて、消えた竈の口を見ている。振り返らなかった。
「ミト」
「はい」
「火が消えてるぞ」
ミトは、竈の口を見たまま、うなずいた。
俺は、指を1本立てて火を出し、竈の中へ落とした。火は残っていた薪に移って、部屋が橙になった。
ミトは、それを見て、こう言った。
「ぼく、いらなくなりました」
何を言われているのかが、すぐには分からなかった。
この子は、俺を運ぶために寄越された。俺が自分で行くと決めたので、運ぶ役が無くなった。役が無くなった品は、どうなるかを、この子は知っている。
「あんた、塩を取れるだろ」
「はい」
「俺がいなくなったら、この城で、それができるのはあんただけだ」
「……はこぶの、しなくていいですか」
「運ぶな。取ってこい」
ミトは、そこで初めて、俺の顔を見た。口を開いて、何も言わずに閉じてから、竈の火を見た。
火が、薪の下で一度爆ぜた。
「ルシェさまが、あしを、みせてくださいました」
「そうか」
「あれ、ぼくがなおせます」
俺は、動きを止めて、この子を見た。8歳だ。肘から先を通すことしか、まだやっていない。
「なおす、ってのは?」
「つなぎます。……あいているところを、とじます」
「閉じたら、どうなる?」
「あるくのが、いたくなくなります」
俺は、階段の下に座っている女のことを考えた。あの円が閉じれば、俺は3日後に通れない。
通れないが、あの足は治る。
3日後の夜明けまでに、この話をルシェにせずに済ませる手は、まだ無い。




