第165話 倅を、見てきてくれ
北の砦の空が、赤かった。
2日の道を、俺は1日半で行った。岩の間の石積みは、前に来たときのままだ。積み直した跡に、新しい粉は付いていなかった。
門に、2400はいなかった。
並んでいたのは、200ほどだ。残りは、砦の中にいる。中から、煙が上がっていた。
天幕が、燃えていた。布は、もう無い。骨組みだけが残って、その下で紙が燃えている。紙は、燃え方が遅い。他の紙より遅い。薄いのに、透けない紙だ。
その前に、グランが立っていた。
戦鎚を、片手で下げている。
「遅えな」
彼は、燃える骨組みから目を離さなかった。
「もっと早く来ると思っていた」
「道が悪い」
「お前が道を悪く言うのは、初めて聞いた」
俺は、燃えている紙を見ていて、1枚、まだ燃えていないものが足元に落ちているのに気づいた。屈んで拾い、裏を見る。
裏の下の端に、押した跡があった。円が1つ。線が9本。9本目だけ、途中で切れている。
「読めるか?」
「読める」
「なら、そこの3行目を見ろ」
俺は、3行目を見た。名が、2つ並んでいた。1つは、俺の名だ。もう1つは、見たことの無い名だが、字数が短い。
その2つを、1本の線が繋いでいた。
「そいつは、何だ?」
「知らん」
戦鎚の頭が、地面の灰を擦った。
「おれは字が読めん。……だが、その線は、おれの倅の名にも引いてあった」
俺は、もう1枚を拾おうとして、手を止めた。地面に落ちている紙が、端から白くなっている。火ではなく、色が抜けていた。
そこから、紙そのものが薄くなって、無くなった。
「消えるのか」
「殴った晩から、ずっとだ」
グランは、顎で骨組みの下を示した。
「あいつを殴ったら、紙がこうなった。4晩で、あらかた消えた。……残りも、明日には無くなる」
「殴ったのか?」
「殴った」
俺は、グランの右腕を見た。手首から肘までが、黒くなっている。焦げているのとは違う。皮の下の色が、灰になっていた。
「その腕は、どうした?」
「殴った方の腕だ」
「痛むか」
「初めの2晩は」
「いまは?」
「何も無い。……肩から下が、おれのものではなくなった」
彼は、そう答えて、戦鎚を左手で地面に置いた。右手は、指が開いたままだった。
「なんで殴った?」
答え次第で、俺の行き先が変わる。グランの胸の内を訊いたつもりは無かった。
「あいつが、数を言った」
「何の数だ?」
「今年の分だ」
グランは、灰の色になった腕の方を見なかった。
「毎年、冬の前に言いに来る。今年は、7だと言った。……7人、出せと言った」
「去年は?」
「11だ。……初めの頃は、1年で100を超えた」
「減ってるじゃねえか」
「減った理由を、あいつが言った」
彼は、一度、唾を吐いた。
「お前が戻ったから、来年から要らなくなる。今年の7で、仕舞いだとな。……おれは、その言い方が、癇に障った」
俺は、少しの間、燃えている骨組みを見ていた。
「あんた、終わらせたくなかったのか」
「終わらせたかった」
「じゃあ、なんでだ?」
「終わらせるのが、おれではなかったからだ」
グランの声は、大きくなかった。この巨躯が小さい声を出すのを、俺は18年前に一度も聞いていない。
「18年、おれが出した。1100だ。……終わりに、お前が来た。お前が戻ったから終わる、と言われた」
「そうだな」
「なら、おれの18年は、何だ」
俺は、返す言葉が無いまま、口を開いた。
「無駄じゃねえ」
言ってから、間違えたと分かった。この言葉を、俺は東の館でも使って、1人、階段を下りさせた。
グランは、笑わずに地面に座り、動かない右腕を、左手で膝の上に載せた。
「ヴァルゼード。お前は、下手だな」
「あぁ」
「昔から下手だった。……18年経って、少し上手くなったかと思ったが、同じだ」
「それで、あいつはどこだ?」
「消えた」
「死んだのか?」
「分からん。……殴ったら、板が割れた。板の上の紙が、宙に散った。散った紙を集めようとして、手が3回空を掴んだ。4回目に、掴む相手がいなくなった」
俺は、砦の中を見た。2200が、壁際に固まっている。誰も、天幕の方を見ていない。見えていない顔だ。
18年、この砦の者は、天幕の中に誰かがいることを知らなかった。
毎年、言われた数を、ただ出していた。
「兵は、何と言ってる?」
「何も言わん。……去年までは、名簿から抜けた者を、おれが北の道へ送っていた。送った者は、峠で消える。皆、そう思っている」
「峠で消えたことにしてたのか」
「した」
「倅もか」
グランの目が、燃え残りから俺の方へ移った。
燃え残りの灰を、戦鎚の頭で一度押してから、こう答えた。
「倅は、自分で列に並んだ」
「おれが選んだのは、先の短い者からだ。3年前、7人のうち6人まで決めて、最後の1人が決まらなかった。……夜に、倅が来た。おれの名簿を見て、自分の名を書いた。……字は、あれが書いた。おれは読めん。……だが、あれの字だけは、形で分かる」
「グラン」
「何だ」
「俺は、天へ行く」
「行けるのか?」
「開け方が1つある。……肩の幅まで開くかどうかは、やってみねえと分からねえ」
グランは、座ったまま燃え残りを見ていたが、やがて左手で地面を一度叩いた。
「連れていけとは言わん」
「言われても、連れていけねえ」
「分かっている。……1つだけ、頼む」
グランが、言葉を選んでいる。俺は、そこで待った。18年前、こいつが言葉を選ぶところを、見たことがない。
「倅を、見てきてくれ」
「生きてるかは、分からねえぞ」
「生きていなくていい」
グランの左手が、地面の土を握った。
「数に入っていると、あいつは言った。生きているとも、死んでいるとも言わん。……どっちかを、見てきてくれ」
「名は?」
「ラント」
「どんな字だ?」
「知らん。……読めんと言っただろう」
俺は、拾った紙をもう一度見た。3行目の、俺の名の隣にある短い字を見た。線で繋がれている。書いた者は、この2つを1組として扱った。
「これか」
「見せろ」
俺は、その紙を、グランの目の高さまで下げた。
グランは、それを見て、動かない右手を左手で持ち上げ、紙の上に載せた。指が、字の上で止まった。
「……これだ」
紙は、その手の下で、端から白くなった。
薄くなって、無くなった。グランは、最後まで指を離さなかった。そのまま、掌が地面に着いた。
砦の空は、まだ赤かった。




