第158話 歩かない方々
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ローデン砦の再建は、13日目に入っていた。
焼け落ちた東の壁は、石を積み直すのではなく、いったん全部下ろしてから積むことになった。決めたのはグレイグだ。下ろすのに6日かかり、積み始めてまだ7日しか経っていない。
石工が、足りない。王都から来るはずの30人が、11人しか着かなかった。残りは、途中の村で雇われた。畑の方が、金が良かったからだ。
中庭の井戸には、蓋がしてある。
板で塞いで、その上に石を4つ置いてある。ミルカが、塞ぐ前に、深さと、底の石の位置と、水面までの距離を、全部書き取っていた。
リィナは、毎朝、その蓋を開けて縄で下り、底の石に掌を当てて、20数えてから上がってくる。
「今朝は、どうでした?」
「温かかったです」
「昨日より?」
「同じくらいです」
ミルカは、その答えを帳面に書いて、指で前の行をなぞった。半月前から、この石の温度は下がっている。一定の下がり方ではない。3日下がって、1日戻る。
「ミルカさん。これは、悪いことですか」
「分かりません」
「アステリア様は、何と」
「『向こうで、あの方が動いておられます』と仰いました」
ミルカは、帳面の前の行から指を離した。
「動いておられる間は、座標が引っ張られるそうです。……伸びても、切れなければ構いません」
アステリアは、砦の南の斜面にいた。
そこに、背の低い薬草が生えている。彼女は毎日そこへ行って、地面に座って、空を見る。外套の下の翼は、砦の者にはまだ見せていないが、勘の良い者は気づいている。
グレイグが、その斜面を上がってきて、少し離れたところで足を止めた。
「アス殿」
「はい」
「あんた、昨夜も見とったな」
「見ておりました」
斜面の薬草が、風で一度、同じ向きに寝た。
「何を数えとる」
「上を通る者を、数えております」
アステリアは、そう答えてから、初めて砦将の顔を見た。
眉の端が下がる。困ったときの笑い方だ。
「11日前に3つ、7日前に1つ、昨夜、また2つ通りました。……合わせて6つでございます」
「それは、星ではないんだな」
「星ではありません」
「降りとるのか」
「降りた者が、6つのうち、4つです」
グレイグは、顎を一度こすった。それから、砦の方を見下ろした。積みかけの東壁と、その内側の中庭と、板で塞いだ井戸が見える。
「鉄が、鳴らんな」
彼の目は、積みかけの東壁に止まっていた。
「俺は、40年、壁と蝶番を見て生きてきた。……見えんものが来るという話は、どう備えればいいのか分からん」
「壁は、要ります」
「そうか」
「降りた者も、歩きます。飛んで来る者は、いまのところ、おりません」
エリシアは、焼け跡の机で手紙を書いていた。
机は、司令室にあったものだ。天板の半分が焦げている。焦げた側に紙を置かないよう、彼女はいつも左に寄って書く。
宛名は、全部違う。聖国の停戦派の司教に3通、メルセアの北の3家に4通、ヴァリスの東部5家に5通。文面は、1通ずつ変えてある。
「エリシア様。3日で、38通ですわ」
フィーネが、そう言った。
「前にも言いましたけれど、昔のあなたは、正しい文をお書きになりましたのよ。1通書いて、あとは写しを回す。……宰相府のやり方でしたわ」
「あれは、返事が同じになります」
「えぇ」
フィーネは、少し笑って、机の端に腰を掛けた。くだけたときの、この女の座り方だ。
「エリシア様。ひとつ、伺ってよろしいかしら」
「どうぞ」
「あなた、ゼノ様がお戻りにならなかった場合の文も、お書きになっていますわね?」
エリシアの手が、止まった。羽根ペンを置いて、机の引き出しを開ける。中に、封をした束が1つ入っていた。
「11通ですわ」
「……11」
「どれも、同じ書き出しですの。『ゼノ・エルディスは、戻りません』」
フィーネは、その束を見てから、机を下りて少し離れた。
「わたし、あなたのそういうところが、昔から苦手でしたわ」
「存じております」
「ですが、いまは、それが要りますのね」
「要ります」
その日の午後、シャルが戻った。
3日、砦の北の丘の裏を歩いていた。戻ってきたとき、外套の裾が泥で重くなっていた。泥は、乾いていない。水の出るところを歩いたということだ。
「旧道が、生きています」
彼女は、裾の泥を落とす前に、それを報告した。
「地図から消された道です。砦の地下の、井戸のある層まで、まっすぐ来ています」
「塞げるか」
訊いたのは、ヴィントだった。
杖を突いている。王都からの馬で腰を痛めて、まだ治っていないのに、彼は毎日、壁の上まで上がる。
「塞げます。ですが、塞ぐと、こちらも使えません」
「どのくらいで通れる?」
「50人なら、半日です」
ヴィントは、図面を広げて旧道の入口に印を付け、その印を囲むように線を引いた。
「塞がずに、通らせる」
「通らせるのですか」
「通った先を、袋にする。……50人ずつなら、こちらも受けられる」
図面を後ろから見ていたリィナが、口を開いた。
「その袋の口を、わたしが持ちます」
エリシアが羽根ペンを置く音が、焼け跡の端まで届いた。彼女は、振り返っていた。
「リィナ。それは、いちばん最後に退く場所でございます」
「はい」
「あなたを、死なせません」
「死にません」
東壁の方で、石工の槌が一度だけ鳴った。
「約束できませんでしょう」
「できません」
リィナは、そう答えてから、中庭の方を見た。焼け跡から、中庭の井戸が見える。板で塞いで、石を4つ置いた井戸だ。
「エリシア様。わたしは、あの井戸の留守を預かっています」
「わたくしもでございます」
「はい。ですが、エリシア様が預かっておられるのは、砦と、兵と、この国です」
「わたしが預かっているのは、あの穴1つです」
彼女の目は、まだ井戸の方にあった。
「ゼノ様は、わたしに『留守を頼む』と仰いました。……あのとき、ほかには何も言われていません。だから、わたしが守るのは、あれだけでいいです」
エリシアは、しばらく何も言わなかった。
「……ずるうございます」
「何がですか?」
「わたくしには、そういう言い方が、できません」
エリシアは、そう言って、机に向き直った。39通目を書き始めた手が、最初の1行で、一度止まった。
夕方、ポーラが鍋を運んできた。
4つある。中身は、どれも同じスープだ。薄くした分だけ、塩を強くしてある。
「人数が増えたから、薄くしたんだ」
彼女は、鍋の蓋を1つ取ってみせた。
「でも、味はちゃんとするよ。……たぶん」
その夜、アステリアが司令室へ来た。
戸口で立ち止まり、中の全員が黙るのを待ってから、こう言った。
「4つのうち、3つが、こちらへ向かっております」
「どこから」
「西の、聖国の側です」
「あと、どれくらいですか」
訊いたのは、リィナだった。
「歩けば、6日でございます」
「歩かなかったら?」
アステリアは、そこで眉の端を下げた。
「……歩かない方々は、6日もかかりません」




