第154話 2度目は無い
俺は、そこで前に出て、ドランの前に立ち、ザルカの方を見た。
「こいつは、俺が呼んだ」
「……」
「3日後に東の町へ来いと言った。来たから、喋った。斬るなら、俺を先に斬れ」
ザルカは、その場で両手を下ろした。袋を持つ胼胝のある手が、開いたまま閉じなかった。
「……何をなさるおつもりですか」
「何もしねえ」
「命じてくださいませ」
ザルカは、一歩、前へ出た。
「この界へお戻りになったのなら、命じてくださいませ。東を返せと、城下を明け渡せと、跪けと。——そう仰っていただければ、わたしは、あなた様と戦えます」
「戦いたいのか?」
「戦い方しか、教わっておりません」
俺は、その男を見た。
18年前なら、ここで斬って、東の領に兵を入れ、城下の帳面を全部焼いていた。そのあとで飢えた奴を数えて、足りない分を外から取ってきた。
それをやると、また2000人が死ぬ。
数えたのは、ネフィスだ。数えたから、あの領主は痩せている。
「命じねえ」
ザルカの眉が、寄った。
「東は、俺が食わせる。西と城下は、あんただ」
「……それは」
「3年やる。3年後に、生きてる数の多い方が、この界を取れ」
ザルカが口を開いて、何も言わずに閉じ、もう一度開いた。
「……数で、でございますか」
「あぁ」
「負けた方は?」
「食わせる側に回れ」
門の外が、静かになった。
1200が、聞いている。この界の兵は、命令を聞き慣れている。命令ではないものを渡されたときに、どうしていいか分からなくなる。
ザルカは、自分の掌を見ていた。
「あなた様は、変わられましたか」
「知らねえ」
「18年前のあなた様なら、わたしはもう死んでおります」
「そうだろうな」
俺は、そう答えてから、ひとつだけ、訊くことを思い出した。
「ザルカ」
「はい」
「あんた、夜に誰と喋ってる?」
ザルカの顔が、そこで初めて変わった。
速かった。血の色が頬から引いて、ザルカは半歩下がった。門の外の1200の方ではなく、俺から遠ざかる方向へだ。
「……お会いに、なったのですか」
「誰にだ」
「では、ご存じないのですね」
ザルカの声が、さっきまでと違う。低くなって、早くなっていた。
「3年前の冬から、夜に、部屋で声がいたします」
「姿は?」
「ございません。声だけでございます。……この界の言葉を、上手にお使いになります」
「何を言ってくる?」
「配れ、と」
3年前の冬から、この男は何を配ってきたのか。配れば、配った者に人が集まる。そのあとで、その者が要らなくなったら——
「配れと言われて、配ったのか」
「配りました。……去年、ひとつだけ、伺いました」
「何をだ」
「『あなたは、どなたですか』と」
ザルカは、唾を飲んだ。
「返事は、ございませんでした。代わりに、別のことを仰いました」
「その、別のことってのは」
「『18年前に、この界の主を1人片付けた。あれは、2度目は無い』」
頭の中で、その声を鳴らしてみた。
聞こえるはずのない声で、聞いたことのある声でもない。それでも、背中の18年前の穴が、疼いた。光の輪が入った場所だ。
門の外で、旗が1本、風で鳴った。
この界を数えていたのは、天だけではなかった。
ザルカが門を出ていったのは、夕方になってからだった。
1200は、来たときと同じ並びで引いた。真ん中が薄く、両端が厚い。引くときも同じ並びにするのは、後ろから追われることを見込んでいる者のやり方だ。追う気は無かったので、俺は門の上から見送った。
ドランは、置いていった。
ザルカが斬らないと決めたわけではない。連れて帰れば、1200の全員の前で、もう一度あの話を繰り返させることになる。
「我が主」
ネフィスが、門の上へ上がってきた。
「3年、と仰いました」
「あぁ」
「東で、あと2000を生かせと仰せでございますか?」
「生かせるか」
「……やってみます」
「やってみますは、18年前は聞かなかったな」
「18年前は、できることしか申し上げませんでした」
ネフィスは、そう言って、袖の中で手を組んだ。3日で3度目だ。今度は、ザルカの名を出していない。
「いまは、できないことを申し上げませんと、誰も冬を越せません」
ルシェが、階段の下に立っていた。
上がってこないまま、こちらを見上げている。弟は、その後ろで、荷を1つ背負っていた。ロウグ村へ戻る支度だ。
「北へ帰るのか」
「戻ります。……あの村の子を、6人、預かって参ります」
カルドが、背の荷を揺すり上げた。
「預かって、どうする」
「食わせます」
「食えるのか」
「食えません。ですので、東へ下ろします」
カルドの言い方が、3日前より短い。名代を名乗って回っていた頃の喋り方が、落ちていた。
ルシェは、弟が門を出るまで、その背中を見ていた。
それから階段を上がってきて、俺の隣で、外の道を見た。
「陛下」
「あぁ」
「先ほどのお話を、もう一度伺ってよろしいですか?」
「夜の声か」
「その話でございます」
「あの声は、この界の言葉を使うそうだ」
「……上手に、と仰いました」
ルシェは、そう言った。
「この界の言葉を、この界の外の者が上手に使いますには、教える者が要ります」
18年前の東の棚を、思い出した。外との書状が20年分積んであった棚だ。俺が死んだ冬に焼けた棚だ。書状を溜めていた者を、俺は4人斬った。
それで、終わったと思っていた。
「ヴェルナ」
「はい」
「東の棚の書状は、全部焼けたのか」
ヴェルナは、階段の途中で足を止めて、下を向いた。
「11通、残っております」
「どこにだ」
「わたしの部屋の、床の下でございます」
「18年、黙ってたな」
「はい。……読める者が、おりませんでしたので」
彼女は、下を向いたままだった。
「11通のうち、7通は、この界の字ではございません」
焼けた棚の灰を、俺は18年前に自分の手で掻き回している。




