第152話 誰もいないのに喋っておられる
北の道は、上りが続いた。
獣を2頭とも走らせて、夜のうちに道のりの半分を稼いだ。その間、ルシェは一度も口を開かずに、俺の半歩後ろを保った。18年前、この女は俺の前を走って、道の悪いところを先に踏む役だった。
いまは、後ろにいて、時々、俺の背中を見ているのが分かった。
朝になる前に、檜の匂いがした。
道の両側が林になる。下草が無い。踏まれて禿げている。この道を、ここ数日で、30人か、それ以上が歩いている。獣の足跡も混ざっていた。
「陛下」
ルシェが、獣を止めた。
「先に、別の者が通っております。数は、30を超えます」
「弟の連れじゃねえな」
「あれの手の者は、6人でございます。6人とも、宿場から南へ帰しました」
「じゃあ、誰だ?」
「……ザルカ様の先触れかと」
彼女の声が、また平らになっていた。
村は、窪地にあった。
家が18軒。どれも屋根が低く、雪の重さを見込んで作ってある。村の真ん中に井戸があって、その縁に氷の張った跡が白く残っていた。
井戸の前に、人が集められていた。60人ほどだ。年寄りと、女と、子供。男は、少ない。
兵は、34人いた。
揃いの外套を着ている。胸のところに、印が縫い付けてあった。線を3本重ねた前魔王家の印から、その3本を抜いた形だ。
その34人の前に、カルドが立っていた。
両手を後ろで縛られて、井戸の縁に押しつけられていた。
カルドの足元に、子供が6人座っていた。
いちばん上が10ほどで、下は5つか6つだ。6人とも、ばらばらの方向を向いている。揃えて座らせる者が、いなかった。
俺は、林の端で足を止めた。34と、6と、60だ。
「陛下」
ルシェが、俺の横に並んだ。
「わたくしが先に出ます」
「出て、どうする?」
「城の者だと名乗ります。名乗れば、あの者たちは、城下へ使いを出します。使いが戻るまでの3日、村は焼かれません」
「その3日で、何が変わる?」
ルシェは、答えずに、袖の中へ手を入れた。その手が、出てこなかった。
俺は、その袖を掴んで引いた。
「下がってろ」
「陛下」
「あんたは、18年、城で数えてた」
掴んでいた袖を、離した。
「今日は、数えなくていい」
林から出て、まっすぐ歩いた。60人の村人が、先にこちらを見た。次に兵が見た。34人のうち、8人が槍を回し、穂先が俺の胸の高さで並んだ。
「止まれ」
「あぁ」
俺は、止まった。
「何者だ」
「東から来た」
「東の何だ」
「領主の客だ」
隊長らしい男が、前に出てきた。
40がらみで、顎に古い傷がある。傷の引き攣れ方から見て、刃ではない。焼かれた跡だ。
「ネフィス殿の客か」
「そうだ」
「なら、ちょうどいい。伝えてもらう」
男は、そう言って、カルドの方を顎で示した。
「東の帳面と、こちらの帳面が合わねえ。城下にいるはずの子が6人、この村にいた。……名簿を書いた者に、説明してもらう」
「その6人を、どうする?」
「連れて帰る」
「帰って、どうする?」
「決めるのは、俺じゃねえ」
男の答え方に、迷いが無い。18年前も、この界の兵はこう答えた。それだけを言えるように訓練されている。
俺は、子供の方を見た。6人のうち、いちばん小さいのが、こちらを見ていた。鼻の下が乾いた鼻水で白くなっている。拭いてやる者が、この3日、いなかったということだ。
その子が、俺と目を合わせたまま、逸らさなかった。
俺は、隊長へ目を戻した。
「あんた、誰に命じられてここへ来た」
「ザルカ様の名で来ている」
「名で、な」
「同じことだ」
「同じじゃねえ」
俺は、そこで闇魔法の陣を組んだ。
1枚だけ組んで、手を下げる。影が地面へ落ちて、光の来る方と逆へ伸び、34人の足元まで届いた。
「——悪魔の技だ」
隊長が、そう言ったときには、もう半歩下がって、剣を抜いていた。速い。
「囲め」
34人が、動いた。
俺は、動かずに、影を一度畳んだ。影が村の井戸の周りを回り、6人の子供と、60人の村人のところで止まって、立ち上がった。
幕になった。
闇幕だ。人間界で、俺はこれを光を食うために使った。今日は、逆に使う。
幕の内側から、外が見えなくなる。
外からも、内が見えない。幕の内側で、子供の1人が息を呑む音がした。
俺は、幕の外に残って、34人を見た。
最初の3人は、正面から来た。
その足首に影を掛けて、引いた。3人とも前のめりに倒れ、そこへ次の6人が乗り上げた。
俺は、その9人を跨いで、隊長の前に立った。
「あんた、ここで死ぬか?」
「……何だと」
「2つある。1つは、ここで死ぬ。もう1つは、帰って、見たことを喋る」
男は、剣を振り上げて、振り下ろした。
俺は、避けなかった。刃が、左の肩に入って、骨で止まった。
血が出た。だが、この身体は、18年かけて作り直したものだ。人間の肉の下に、人間のものではない骨が入っている。刃は、そこで止まって、動かなくなった。
俺は、その刃を掴んで、握り込んだ。掌の中で、鋼が飴のように曲がった。
「選べ」
男は、柄を離さずに俺の顔を見て、それから笑った。覚悟を決めた者の笑い方とは違う。安心した者の笑い方だった。
「……本当に、お戻りになったのですか?」
「あぁ」
「なら、言っておくことがある」
隊長は、そう言った。
「ザルカ様は、3年前から、1人で話をしてる」
「誰とだ?」
「知らねえ。夜、自分の部屋で、誰もいねえのに喋ってる。……返事があるんだそうだ」
俺は、肩の刃を抜いて、地面に捨てた。その音で残りの兵が下がり、誰も前へ出てこなかった。
「返事をする奴の声は、聞いたか?」
「聞いた奴が、1人いた」
「そいつは」
「去年、梁からぶら下がってた」
「自分で下がったのか?」
「そう聞かされた。……喉に、指の跡は無かったそうだ」
男は、そう言って膝をつき、両手を地面へ置いた。この界の兵が、降参するときにやる形だ。俺は18年ぶりに、その形を上から見た。
「俺は、帰って喋る」
「そうしろ」
「喋れば、俺は殺される」
「だろうな」
「それでいい。……俺の倅は、6年前の冬に、東で死んだ」
俺は、その男の顔を見た。
顎の傷は、焼かれた跡だ。6年前の冬に、麦を待って火を焚き続けた者の顔に、同じ傷がある。人間界でも見た。火に近づきすぎた者は、みんな顎から焼ける。
「あんた、名は?」
「ドラン」
「ドラン。3日後に、東の町へ来い」
幕を解くと、60人の村人が、いっせいに顔を上げて俺を見た。その中に、18年前を知っている顔が、3つか4つ混ざっていた。
その3つか4つが、先に膝をつき、残りが続いた。
俺は、それを止めずに、井戸のところへ歩き、縛られたままのカルドの縄を、影で切った。カルドは座り込んで、6人の子供を見た。
それから、俺の後ろを見た。
ルシェが、林から出てきて、村の入口で止まっていた。弟の方を見ているだけで、近づかない。
カルドが立ち上がり、姉のところまで歩いて、その前で、また膝をついた。
「姉上」
「……はい」
「俺は、名を使った」
「存じております」
「集めた麦で、この村は、去年の冬を越した」
ルシェは、そこで初めて、弟の肩に手を置いた。
「カルド。わたくしは、怒っております」
「あぁ」
「ですが、それは、あなたにではございません」
彼女は、そう言って、俺の方を見た。その目に、怒りの色は無かった。そのほうが、さっきまでより、よほど悪かった。
村を出るとき、いちばん小さい子が、井戸の縁に立って、こちらを見ていた。鼻の下は、まだ白いままだ。誰も拭いてやっていない。
俺は、その前を通るときに、外套の裾で、その顔を一度だけ拭った。




