第150話 9000を取りました
東の領の町は、城壁の外まで人が出ていた。
門の前に、列ができている。並んでいるのは荷車ではなく、人だ。桶を抱えた女と、袋を抱えた年寄りと、その足の間を走り回る子供。門番は2人しかいないのに、列が乱れていない。並び方が、毎日並んでいる者の並び方だった。
俺は、その列の横に立って、並ぶ者を見ていた。
「カルド」
俺は、後ろの男を呼んだ。
3日歩かせる間に、カルドは6人の部下を先に帰し、それから口をきかなくなった。いまは、ルシェの獣の後ろを、手綱に手も掛けずに歩いている。
「あの列が、何の列か分かるか?」
「……麦だろう」
「並んでる連中の顔を見ろ」
痩せていない。
これが、この界の東で、いちばんありえない光景だ。乾いた時期の終わりに、列を作れるだけの者が生きていて、その全員が立って歩いている。18年前の東は、この時期に村が2つか3つ消えた。
カルドは、その列を見てから、門の内側を見た。そこに、穀倉の屋根が5つ並んでいた。
門を抜けるのに、名乗る必要は無かった。
門番が、ヴェルナの顔を見て、何も言わずに横へ退いた。1人が、館ではなく、穀倉の方へ走っていった。
「顔が通るんだな」
「通しているのは、わたしの顔ではございません」
ヴェルナは、門番の走っていった方へ目をやった。
「東は、城の者を止めません。止めると、目立ちますので」
領主の館は、石造りの2階建てだった。
魔王城とは違う。柱に彫りが無く、窓が小さく、壁が厚い。冬を越すために作った建物だ。入口の前に兵が4人立っていて、4人とも、槍の石突を地面につけていた。
その4人が、俺を見た。1人が中へ入った。残りの3人は、槍を上げなかった。
待たされたのは、水を一口飲む間だけだった。
出てきたのは、痩せた女だ。40半ばで、背が高く、少し猫背になっている。白いものの混じった髪を、後ろで1つに束ねていた。手が、書き物をする者の手だ。中指の横に、筆だこがある。
その女は、階段の途中で足を止めて、俺を見下ろした。
「遅うございました」
驚いていない。驚いた顔を作ってもいない。18年前に死んだ主を館に迎えた者の顔にしては、ネフィスの顔は、静かすぎた。
「知ってたのか?」
「半月前から、そのように伺っておりました」
「誰にだ」
「ヴェルナ殿の書状でございます」
俺は、後ろを見た。
ヴェルナは、俺の視線から目を逸らさなかった。
「申し上げませんでした」
「なんでだ?」
「申し上げますと、我が君は、東へ来る前に確かめようとなさいます。……先に、この町の門をご覧いただきたかったのです」
ネフィスは、階段を降りてきて、俺の3歩前で膝を折った。遅い。腰の悪い者の折り方だ。
膝をついたまま、顔を上げた。
「我が主。まず、お詫びを申し上げます」
「詫びは後だ。先に見せろ」
「何をでございましょう」
「穀倉だ」
ネフィスは、そこで一度、目を閉じてから、立ち上がった。途中で膝についた手が、少し震えていた。
「……左様で。では、そちらから参りましょう」
穀倉は、5つのうち3つが満ちていた。
残りの2つは、底が見えていて、藁が敷いてある。
「3つで、何人分だ?」
「この町と、周りの村を合わせて、9000人が冬を越します」
「東の領は、18年前は2万だった」
「いまは、1万1000でございます」
俺は、穀倉の壁に手を当てた。木の板だ。継ぎ目が、新しい。ここ数年で、何度も直している。板の合わせ目に膠を塗って、その上から布を貼っていた。
「この麦は、どこから来た?」
「西から、3割」
「残りは」
穀倉の奥で、麦の山の端が、さらりと崩れた。
「南から4割、北の村々から3割でございます」
「取ってきたのか」
「もらって参りました」
「差し出させたんだろうが」
「差し出されました」
ネフィスは、同じ答えを、言い方だけ変えて返した。
「俺の名を使ってな」
「はい」
「18年前に、俺はそんな許可を出してねえ」
「出しておられません」
ネフィスの指が、袖の端を一度つまんだ。
「じゃあ、何だ」
「——盗みでございます」
ネフィスは、また膝を折ろうとした。
俺は、その襟を掴んで止めた。襟の下の骨が、細かった。18年で、肩の肉を全部落としている。
「膝をつく前に、全部言え」
「はい」
「6年前の冬に、城は1100人分しか出しませんでした」
ネフィスは、俺の手に掴まれたままだった。
「ザルカ様は、4000人分を配られました。配られた先は、城下と、西の3つの領でございます。東には、1袋も参りません。……あの冬、東で2000を超える者が死にました」
「その数は、誰が数えた」
「わたしが数えました」
「翌年の春に、わたしは、名を1つ使うことにいたしました」
ネフィスは、そこで俺の手を見てから、目を上げた。色の薄い目が、乾いていた。
「この界で、まだ通る名は、3つでございます。前魔王家の名と、ザルカ様の名と、——18年前に死んだ方の名でございます」
「死んだ奴の名が、なんで通る?」
「死んだと、誰も見ていないからでございます」
ネフィスは、そう答えた。
「遺体がございません。墓に石はございますが、中は空でございます。……この界の者は、見ていないものを、いつまでも仕舞っておきます」
俺は、襟から手を離して、穀倉の中をもう一度見た。麦の山の上に、梯子が掛かっている。その下に、木の匙が10本ほど、束ねて置いてあった。量る道具だ。
「1人に、どれだけ配る?」
「1日に、匙で7杯」
「足りるのか?」
「足りません。死ぬのが、遅くなるだけでございます」
カルドが、穀倉の戸のところに立っていた。
入ってこない。戸の枠に手を掛けて、中の山を見ている。その顔が、3日前に道の粉に手をついたときの顔に戻っていた。
「おい」
俺は、その男を呼んだ。
「あんたの取った2袋は、どこに行った」
ネフィスが、答えた。
「北の、檜の生えている村でございます。名は、ロウグ。宿場から歩いて2日、冬に井戸の水が凍るところでございます」
「……あの村か」
カルドの手が、戸の枠を握った。
「あの村は、去年、子供を6人出した」
「出しました。その6人は、こちらでお預かりしております」
ネフィスの言い方に、力が入っていない。
「ザルカ様へ差し出す形にして、名簿に書き、東で止めております。……名簿の上では、あの6人は、もう城下におります」
カルドの手が、戸の枠から落ちて、そのまま、腿の横で握られた。拳が震えている。カルドは何も言わずに、穀倉の外へ出ていった。
ルシェは、その後ろ姿を見ていたが、追わなかった。
「我が主」
ネフィスが、俺を呼んだ。
「わたしを、ここで斬られますか」
「斬ったら、麦は誰が配る」
「わたしの下に、4人おります。4人とも、数えられます」
「じゃあ、斬る理由を探すのは、後だ」
ネフィスが、初めて、表情らしいものを顔に出した。笑いではない。眉の間の皺が、少し深くなっただけだ。
「では、先にひとつ、申し上げておきます」
「あぁ」
「ザルカ様が、3日後に、この町へお着きになります」
「何しに来る?」
「わたしが、お呼びいたしました」
ネフィスの色の薄い目は、俺から逸れなかった。
「半月前、ヴェルナ殿の書状を受け取りましたあと、わたしはザルカ様に文を出しました。——『18年前の御方が、東へ来る』と」
「売ったのか」
「売りました」
今度は止められる前に、ネフィスは膝を折り、石の床に手をついた。
「9000人の冬と、我が主のお命を並べました。並べて、9000を取りました」
その勘定の仕方を、俺は18年前に、この女に教えている。




