第149話 姉上が、帰ってこないからだ
隊は、道の真ん中で止まらず、こちらの脇を通り抜けようとした。獣に乗った者が2人、徒歩が5人。先頭の男だけが顔を出していて、残りは口から下を布で覆っている。荷は無い。荷車を先に行かせて、身軽な7人だけが後ろを来ている形だ。
俺は、道の真ん中へ出た。
7人が止まった。
「退け」
先頭の男が、そう言った。
若い。25か、それより少し下だ。背は俺と変わらないが、肩の厚みが片側にしか無い。右の肩が上がっていて、その分、首が左へ傾いている。長く槍を持った者の身体の作り方だった。
「名代ってのは、あんたか」
「そうだ」
「誰の名代だ」
「訊くまでもない」
男は、背中の槍の柄に手を掛けたが、外しはしなかった。
「この道の先の宿場から、麦を2袋もらった」
「もらった」
「そうだ。差し出された」
「その魔王様とやらには、会ったのか?」
男は、初めて、俺の顔を見た。
少しの間を置いて、顎を上げた。
「お会いした」
「どこでだ」
「城だ。先月、謁見を賜った」
後ろで、ルシェが獣を降りた。
その音が、思ったより大きかった。痛めている方の足から降りたのだと分かる。彼女は、その足を引きずらずに、俺の横まで歩いてきて、名代の男を見た。
男が、目を細めた。その目が、彼女の耳の下で不揃いに切られた銀髪のところで、止まった。
「城の者か」
「そうです」
「ならば都合がいい。伝えろ。実りのあとに、もう一度回る。次は、麦ではなく、若い者を」
「何人ですか?」
「6人だ」
ルシェは、手を後ろへ回した。何も持っていないのに、指が、何かを握る形になっていた。
「その6人は、どこへ行くのですか?」
「訊くな」
「訊きます」
「城の女が、名代に楯突くのか」
「城の者だからです」
男の声が、そこで少し高くなり、平らになった。
俺は、横にいる女の顔を見た。
ルシェは、まっすぐ前を見ていた。口だけが、小さく動いていた。数を数えているのではなかった。名前の形だった。
「あの野郎、あんたの何だ」
「……陛下」
「訊いてる」
「弟でございます」
名代の男が、槍を構えた。
構え方が速く、きれいすぎる。実戦で人を刺したことのある者の構え方ではなかった。
穂先が、俺の喉の高さで止まった。
「陛下と呼んだな」
「呼んだ」
「この男は、何者だ」
ルシェは、答えずに、俺の前へ半歩出て、両手を袖の中に入れた。この女が袖に手を入れるのは、魔法を組む前の癖だ。18年経っても、そこだけ変わっていなかった。
俺は、その肩を掴んで、後ろへ戻した。
自分で前に出て、穂先の下へ首を入れた。
「俺だ」
男は、動かずに俺の顔を見た。その間に、槍の穂先が少しずつ下がり、柄を震わせながら、また上がった。
「……嘘だ」
「あぁ」
「嘘だと言っている」
「そうだろうな」
闇魔法の陣を1枚だけ組み、槍の穂と柄の継ぎ目に置いた。穂が落ちて、道の粉の中に半分埋まった。
男は、柄だけを持って、その先を見ていた。
「我が君を騙るな」
声が、割れていた。さっきまで平らだった声の下から、別の音が出てきた。20代の男の、泣く前の喉の音だった。
「俺は、絵を見て育った」
「絵は焼いたと聞いたぞ」
「1枚だけ、姉が持ち出した」
男は、後ろのルシェを見て、すぐに目を外した。その先に、自分の落とした穂先があった。
「その絵の中の御方は、こんな埃まみれの顔をしていない」
「そりゃそうだ。18年、外にいた」
「どこにだ」
「人間の界だ」
「——ふざけるな」
男は、柄を投げ捨てて、両手を握った。その拳を、どこへ振り下ろすか決められずにいた。
「なら、なぜ帰らなかった」
「帰り方を知らなかった」
「18年もか?」
「18年もだ」
「嘘だ。あんたは、この界でいちばん強い」
返す言葉を探したが、この男が納得する形のものは、1つも見つからなかった。
「強えのと、帰れるのは、別だ」
俺が言えたのは、それだけだった。
男は、座り込んだ。膝から落ちて、両手を道の粉について、そのまま頭を下げた。その背中が、上下に動いた。布で顔を覆った6人が、その背中を見て、一歩も動かなかった。
ルシェが、俺の後ろで、息を吸って、止めた。
「カルド」
彼女は、弟の名を呼んだが、近づかずに、その場から続けた。
「なぜ、あの名を使いました」
「……姉上が、帰ってこないからだ」
「わたくしは、城におります」
「城にいる者は、いないのと同じだ」
男は、道の粉についた両手を、握った。
「城は、6年前の冬に、1100人分しか出さなかった。うちの村には、来なかった。4000人分を配ったのは、ザルカ様だ。……俺たちは、その麦を食って、魔王様の名で、他所から取っている」
ヴェルナが、そこで初めて口を開いた。
「その理屈を、誰に教わりましたか」
「教わっていない」
「嘘でございます」
言い方に、責める色が無い。
「宿場の壁の字は、あなたの手ではございません」
男の背中が止まり、それから、ゆっくり上がった。ヴェルナの方を向いた顔に、泣いた跡が、粉と混ざって筋になっていた。
「……字まで見るのか」
「18年、それだけをしておりました」
「あれは、俺の連れが写した」
「何をだ」
「東から来た文だ。そのまま写せと言われた」
ヴェルナは、外套の内側から四つ折りの紙を出し、開いて、男の前の地面に置いた。
俺は、その紙を上から見た。
魔界の字が、7行。書いた者の手が、真っ直ぐだ。線の終わりで筆を止めずに、抜いている。俺は、この抜き方を知っている。18年前、俺の卓の上に、毎朝この字が置かれていた。
「これと、同じ手か」
「……同じだ」
ヴェルナは、紙を拾って埃を払い、また四つ折りにした。途中で一度止まった指が、それから、最後まで折り切った。
「我が君。申し上げます」
「あぁ」
「東の領から回っている文は、ネフィスの字でございます」
俺は、東の空を見た。
赤い筋が、朝より濃くなっていた。この界の空は、東へ行くほど低くなる。その空の下に、俺が18年前に「お前に預ける」と言って渡した領がある。
預けた相手が、俺の名で麦を取っている。
「陛下」
ルシェが、俺の横に来て、弟の方を見ないまま言った。
「この者を、どうなさいますか」
「連れていく」
「よろしいのですか?」
「東まで歩かせる。歩かせて、自分が何を集めたかを、集めた先で見せる」
ルシェは、初めて、弟のところへ歩いた。その前にしゃがみ、袖から出した指で、弟の額の粉を払った。
「わたくしは、怒っております」




