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第148話 魔王名代

城を出るのに、3日かかった。


出ると言ってから、ヴェルナが東の領までの道を3度書き直していた。最初が最短の道で、次が人の少ない道で、3度目に出てきたのは、そのどちらでもない道だった。


「遠回りか?」


「はい。ですが、この道には、宿場が4つございます。宿場には、人がおります」



魔界の朝は、鐘で来る。


6つ鳴ると、城下の戸が開き、竈(かまど)の煙が出る。煙の色が、俺のいた頃より薄い。薪を細く割って、長く使う色だ。


門のところに、獣が2頭繋いであった。


角の生えた四つ足で、肩の高さが俺の胸まである。18年前はこれを6頭並べて走らせていた。いまは、2頭だ。



その2頭の横に、ルシェが立っていた。


外套の前を全部留めて、荷袋を肩に掛けている。銀髪が、あいかわらず左右で長さが違う。右肩だけが、いつもより高い位置にあった。


「足は治ったのか?」


「治っておりません」


「じゃあ残れ」


「残りません」



ヴェルナが、俺の後ろで何か言いかけて、やめた。


ルシェが先に獣の鞍へ手を掛け、痛めているという方の足で地面を蹴って、そのまま鞍に収まった。


乗り方が、綺麗だった。


「陛下。わたくしの足が治っていないのは、本当でございます。ですが、歩くのが痛いだけで、乗るのは痛くございません」



3人で出た。


城下を抜けるまでに、俺の顔を見た者が11人いた。そのうち、足を止めたのは2人で、どちらも髪が白かった。残りの9人は、顔を上げて、見て、そのまま通り過ぎた。


「若い者は、我が君の顔を知りません」


「絵は残ってねえのか?」


「焼きました。……あの冬、城の中のものを、かなり焼きましたので」



魔界には、季節が2つしかない。


乾いている時期と、湿っている時期だ。いまは乾いている方で、道の土が細かい粉になっている。獣が歩くと、その粉が膝の高さまで上がって、外套の裾を灰色にした。


ルシェは、その裾を時々払った。すぐに、また灰色になる。3度目に払うのをやめて、そのまま乗っていた。



最初の宿場は、城から半日のところにあった。


宿場といっても、建物は3つだ。厩(うまや)と、水場と、飯を出す小屋。小屋の前に卓が2つ出ていて、荷役の男が4人、器を抱えて座っていた。


俺たちが降りると、その4人が、ヴェルナを見て黙った。



「城の方だ」


言い方に、敬意が無い。あるのは警戒だ。器を持っていない方の手が、卓の下へ下がった。その先に何があるかは分かる。この界の荷役は、棒を膝の横に置いて飯を食う。


ヴェルナは、その4人の前まで歩き、卓の端に銅の粒を3つ置いた。



「4人分を、お願いいたします」


「……城が、払うのか」


「わたしが払います」


「同じことだろう」


「同じではございません。城の金は、いま、ここへは出ません」


男は、その銅の粒から1つだけ取って、残りを押し返した。



飯は、麦粥だった。


薄い。器の底が透けるほどではないが、匙を立てると、ゆっくり倒れる。塩が強い。薄くした分を塩で埋めるやり方は、人間界の厨房でも見た。


俺は、それを黙って食った。


その間、荷役の4人が、時々こちらを見ては、目が合うと外した。下手な外し方は、この界でも同じだった。



「兄さん。あんた、どこの者だ?」


いちばん年嵩の男が、そう訊いた。


「城の方じゃねえだろ。手が、荷役の手だ」


「北だ」


「北のどこだ」


「もう無え」


男は、それで納得した顔をした。この界では、無くなった土地の名を、それ以上は訊かない。



「東へ行くのか?」


「あぁ」


「やめとけ」


男は、匙を置いて、指で卓の木目をなぞった。その指の第一関節が、太くなっている。20年は荷を縛ってきた手だ。


「先月から、名代が回ってる」


「名代」


「魔王様の、名代だとよ」



口の中の粥を飲み込んで、器を置いた。思ったより大きな音が鳴った。


隣で、ルシェの匙が止まった。


彼女は顔を上げず、器の中を見ていた。その横顔の、頬の骨が細かく動いた。



「その名代は、何をしてる」


「集めてる」


「何をだ」


「麦と、金と、若い者だ」


男は、そこで声を落とし、後ろの小屋の方を一度見てから、こう続けた。


「魔王様がお帰りになる。お戻りになるための支度が要る。——そう言って回ってる」



ヴェルナが、卓の向こうから、俺の視界に入る位置へ来た。口は開かない。この場で言えば、相手が喋らなくなる。


「払ったのか?」


「払ったよ。うちの宿場は、麦を2袋」


「払わなかったら、どうなる?」


「隣の宿場が、どうなったかを聞いた」



俺は、その先を訊かなかった。


この男の顔に書いてある。読むのに、言葉は要らない。18年前と、同じ顔だ。


「そいつら、何人で来る」


「7人だ。8人のときもある」


「顔は」


男は、空になった器を卓の奥へ押しやった。


「布で隠してる。……ただ、1人だけ、隠してねえ」



「隠してない奴の顔は、覚えてるか」


「覚えてる」


男は、そう言って、俺の顔を初めて正面から見た。それから、目を逸らした。


さっきとは違う逸らし方だった。



「あんた、ちょっと似てるな」


「誰にだ?」


「その、隠してねえ奴だ」


男は、そう言って乾いた声で笑った。


「悪いな。この界の男は、みんな同じような顔をしてる」



宿場を出たのは、空が暗くなる前だった。道は、そこから上りになる。両側の岩に、黒い苔が、湿った側だけ帯になって付いていた。


ルシェが、俺の半歩後ろで獣を止めた。


「陛下。ひとつ、申し上げてよろしいですか」



「あぁ」


「あの者たちが使っているのは、城ではございません。我が君の名でございます」


「同じだろうが」


「違います」


ルシェの声が、高くて、平らだった。怒っているときの声だ。この女は、怒ると声が上がって、抑揚が消える。


「城が取ったものなら、城が返せと言えます。ですが、我が君の名で取られたものは、ご本人がそう仰らない限り、誰にも返せません」



俺は、東の空を見た。魔界の空は、夜になっても真っ黒にならない。上の方に、赤い筋が残る。その筋が、いちばん濃いのが東だ。


「ヴェルナ」


「はい」


ヴェルナの獣が、蹄で道の粉を蹴った。


「18年、俺の名で何かを取った奴は、いたか?」


「おりませんでした」



「先月まではな」


「……はい」


ヴェルナは、それだけ答えた。


代わりに、手綱を持つ指が、革を一度、握り直した。この女が指で何かをするのを見たのは、城を出てから初めてだった。



その夜は、岩の窪みで寝た。


火を出した。頭の上に浮かべると、岩の天井が赤くなる。そこに、古い刻み目があった。旅の者が数を刻んでいく場所だ。刻み目の数が、上の段で止まっている。


上の段の最後の年に、俺は死んでいる。


それから下には、1本も無い。



ルシェが、その刻み目を見上げていた。


やがて荷袋から鑿(のみ)を出し、いちばん下の段に、1本、線を入れた。手つきが速く、迷いが無かった。


「毎年、来てたのか?」


「いいえ」


彼女は、そう答えた。


「18年分を、今、まとめて入れます」



18本、入った。


入れ終わると、ルシェは鑿を袋に戻し、外套を被って、壁を向いて横になった。そのまま、こちらを向かずに、こう言った。


「陛下。東の領で、ネフィスにお会いになりましたら」


「あぁ」


「あれは、わたくしより先に、諦めております」



翌日、2つ目の宿場に着いた。


人がいなかった。厩の柱が折れて、水場の桶が伏せてある。飯を出す小屋の戸に、外から閂(かんぬき)が掛けてあった。


閂を外して、中を見た。


卓が2つ、片付けられていた。誰かが器を伏せて、布を掛けて、戸を閉めて出ていった。逃げた者の片付け方ではない。また戻るつもりの者の片付け方だ。



小屋の壁に、字があった。


炭で書いてある。魔界の字だ。書いた者の手が、震えていない。落ち着いて書ける状況で、時間をかけて書いたものだ。


『麦二袋 金四十 若い者一人 受領 魔王名代』


その下に、もう1行あった。


『次は、実りのあと』



ヴェルナが、その字の前に立ったまま、動かなくなった。彼女は18年前まで、城の東の棚で書状を読んでいた女だ。字を見れば、書いた者の手の癖が分かる。


「見覚えがあるか?」


「ございます」


「誰だ」


「……申し上げる前に、確かめさせてください」



「確かめてからでは、遅えぞ」


「はい。ですが、いま申し上げますと、我が君は東へ行く前に、この者を殺(や)りに戻られます」


ヴェルナの言い方は、静かだった。


「東の領を先に見ていただきませんと、わたしは、この18年で何を間違えたのかが、分かりません」



俺は、その字をもう一度見た。


『魔王名代』の4字だけ、他より線が太い。書きながら、途中で力が変わっている。その語を書くときに、書いた者の手が止まっている。


それでも、書いた。


——書いた奴は、これが嘘だと知っている。



小屋を出たときには、昼に近くなっていた。道の先に、隊が見えた。


7つの影だ。獣に乗った者が2人と、徒歩が5人。先頭の1人だけ、顔に布を巻いていない。距離があるので、顔までは見えない。


歩き方は、見えた。


右肩が上がっている。ルシェと、同じ癖だった。

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