↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
147/300

第147話 留守は、預かっています

    ◇


穴は、ゼノが跨いだ17拍後に閉じた。


数えていたのは、ミルカだ。閉じたあと、彼女は紙にその数を書いて、それから羽根ペンを置いて、井戸の底の石の上に座り込んだ。


誰も、彼女を上げに行かなかった。その場の誰にも、そこまでの力が残っていなかった。縄の端は、縁に掛かったままだった。



3日目から、リィナが毎朝井戸へ下りるようになった。


石に掌を当てて、20を数えてから、上がる。それだけのことを、誰にも言わずに始めた。3日目の朝は、まだ暗いうちに下りた。


4日目に、ミルカが下りてきた。


「リィナさん。何をしていますか?」


「温度です」



ミルカは、その横にしゃがんで、自分も掌を当てて、長いことそのままでいた。


「……温かいです」


リィナが、うなずいた。


「昨日より、少しだけ低いです」


「そうですか」


ミルカは、それだけ言った。



その日から、ミルカが帳面(ちょうめん)に書き始めた。


石の温度を、朝と夜に2度。温度を測る器具は無い。だから、掌を当てて、20を数える間にどう感じたかを書いた。


『朝。水より温かい。掌の中心だけ』


『夜。縁が冷たい。中心は、朝と同じ』



書きながら、ミルカは自分の手を見た。


器の4分の1を失った手だ。魔法は使えないが、書ける。ゼノが渡ってから9日目で、書いた紙は6日分になっていた。


9日で、温度は下がっていた。


底まで冷えたら何が起きるのかを、この場にいる誰も知らない。



砦の再建は、7日目に始まった。


言い出したのは、エリシアだ。彼女は王都へ戻らずに、焼け跡に机を1つ置いて、そこで書き続けている。机の脚の1本が短く、下に石を噛ませてある。


書いているのは、命令ではない。


頼みだ。ヴァリス王国の各領へ、石と、鉄と、人を出してほしいという手紙を、1通ずつ宛名を変えて書いている。


手紙にしなかった頼みが、1つだけある。前線の指揮だ。エリシアは、それを井戸から上がってきたリィナに、口で頼んだ。



机の横から、フィーネが言った。


「エリシア様。判を押すだけの文にされてはいかがですか」


「同じ文にいたしますと、同じ返事が参ります」


エリシアは、そう答えた。


フィーネは、自分の指を擦り合わせていた。器の4分の1を失ってから、指先が冷えて、炭が持ちにくい。


「……あなた、変わりましたわね」


「そうでしょうか」


「以前は、正しい文をお書きになりましたのよ」



10日目に、グレイグが来た。


ローデン砦の砦将だ。生き残った兵は、271人のうち59人。その59人を連れて、焼けた門の跡に立った。左のこめかみの白いところが、前より広がっている。


グレイグは、門の蝶番(ちょうつがい)を見た。


闇魔法で埋めた隙間が、まだ残っている。ゼノが死ねば消えると言った闇だ。消えていない。



「……鉄が、鳴らんな」


グレイグは、そう言って、部下の方を向いた。


「西の門から直す。石を運べる者は前へ出ろ。運べん者は、飯の支度をしろ。どちらもできん者は、名簿を書け」


59人が、動いた。



その様子を見ているリィナの隣に、ヴィントが来た。杖(つえ)を突いている。馬で腰を痛めたらしい。王都から来て、3日目だ。図面を抱えている。


「おい」


「はい」


「お前、エリシア様に前線の指揮を頼まれたそうだな」


「頼まれました」


「断らんのか?」



リィナは、少し考えた。


「断ると、代わりの人がやります」


「そうだ」


「代わりの人が、わたしより上手だったら、断ります」


「……上手でなかったら?」


「わたしがやります」



ヴィントは、その顔をしばらく見てから、図面を地面に広げて、石で四隅を押さえた。


「東の山だ」


リィナが、図面の横にしゃがんだ。


「聖国の第4軍の頭が、2200のうち1700を連れて山へ入った。そいつが、停戦の命令を蹴った」



「ノルディスという男だ。50過ぎで、左の耳が無い」


「こちらの斥候が3人行って、2人しか帰ってこん。帰った2人が言うには、あの連中は山で兵を集めている。……集めた数が、もう2400だ」


「増えています」


「増えている。神託絶対派と呼ばれているらしい」



「何を待っているのですか?」


「分からん。だが、動く先は分かっている」


ヴィントは、図面の一点を指した。


焼けた砦の、中庭の井戸だ。


「ここだ。……あの連中は、ゼノがどこから出ていったかを知っている」



リィナは、その指の先を見た。


「壊されると、どうなりますか?」


「知らん。わたしが知らんことは、あの娘が知っている」


ヴィントは、そう言って、顎で幕の方を指した。


幕の下に、アステリアが座っていた。



アステリアは、リディアと向かい合っていた。


2人の間に、紙が10枚ほど並んでいる。並べた紙に、線が引いてある。天界の4本と、ネイアの押さえだ。


「壊されますと、戻れません」


「戻る場所が、この石だからです。あの方の魂の座標は、ここに焼きついています。……割れますと、座標が消えます」



「別の場所は?」


「作れません」


「本当に、作れないのか?」


「作るには、あの方がもう一度こちらへ渡る必要があります。渡るための場所が、この石です」


リディアが、包帯の手で自分の膝を叩いた。


「……つまり、この石が割れたら、あいつは向こうに閉じ込められる」


「はい」



その夜、ポーラが鍋を4つ掛けた。


59人の兵と、子供が11人と、ラセルから来た者と、王都から来た者。人が増えたので、鍋を増やした。それでも足りないので、スープを薄くした。麦を炒ってから入れると、薄くても匂いが立つ。


薄くした分、塩を強くした。


「ポーラさん。薄いのに、味がします」


「塩は、薄いときほど効くんだよ」



リィナは、その椀を持って、井戸の縁に座った。


飲みながら、下を見た。暗くて、石は見えない。


彼女は縁に手を置いて、こう言った。


「留守は、預かっています」



返事は、無かった。


分かっていて言ったので、恥ずかしくはなかった。それでも、言ったあとに、椀の中を見た。


少し笑ってから、残りを全部飲んだ。



アステリアは、その夜、幕の外に出て、空を見ていた。焼けた砦の空だ。星が出ている。人間界の星は、天界から見る星と、位置が違う。18年見ていても、まだ見慣れない並びだった。


彼女は、その並びを見て、眉の端を下げた。



「どうした?」


ヴィントが、後ろから声をかけた。


アステリアは、振り返らずに答えた。


「……3つ、動きました」


「星がか」


「星ではありません。上を通った者が3人、星を隠しました」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。