第138話 礎の石は、井戸の底
地下へ下りる階段は、半分が瓦礫で埋まっていた。
上の梁が落ちて、石と焦げた木が積んである。どかすのに、人手なら、10人が半日汗をかいて、そのうち2人が指を潰す類の仕事だ。
俺は、闇を1枚組んだ。
瓦礫の下へ薄く差し入れて持ち上げ、横へ滑らせた。石が擦れる音が、階段の底で反響した。3割5分の器では、これだけで2分持っていかれる。
貯蔵庫は、半分焼けていた。
油の樽が並んでいた側は、炭になっている。麦の側は残ったが、湿って、酸っぱい匂いを出していた。息を吸うと、喉の奥にその匂いが張りついた。
火を1つ、頭の上に浮かべた。
その下に、床がある。石畳の隙間から、下の古い石が見えている。去年見たときと同じだが、今日は、その上に積もっていた物が全部無い。
線が、見えた。
まっすぐではない。ゆるく曲がって、貯蔵庫の壁の下へ消えていく。色が、周りの石より濃い。指で触ると、石の冷たさとは別の冷たさがある。18年前に背中で覚えた冷たさだ。
リディアが、俺より先にしゃがんで、包帯の手で線の縁をなぞった。
そこで、動かなくなった。
「これ、彫ってない」
「あぁ」
「溶かして、固めてある。……こんな引き方、見たことがない」
「谷のは?」
「谷のは彫りだ。中に何か詰めてある。20年ごとに詰め直す」
彼女は、顔を上げた。
「詰め直さないで済むように焼いたなら、これを引いた奴は、200年先まで考えてる」
ミルカが、紙を床に広げて、去年の写しと突き合わせた。
指で、2箇所を同時に押さえた。
「ゼノ。去年、わたしが写したのは、この部屋の分だけです」
「続きがあるな」
「あります。壁の下へ抜けています」
「どっちへ抜けてる」
「4方向です」
俺は、闇で壁の根元を削った。
石の下から、線が出てきた。それを追って削りながら、貯蔵庫を出て、通路を進んだ。1歩進むごとに、器の底が指1本分ずつ浅くなるのが分かった。
通路の突き当たりで、線が上へ折れ、砦の外壁の基礎へ入っていった。
「ゼノ」
ミルカが、後ろから紙を見せた。
紙の上に、4本の線が、それぞれ写してある。彼女は、それを1枚の紙に並べ直していた。
外側へ、広がっていた。
「この砦は、線の上に建っています」
「上にじゃねえ」
俺は、その紙を見た。
「中に建ってる」
外へ出た。
焼けた中庭に戻って、ミルカの紙を石畳の上に置き、4本の線の行き先を、目で伸ばした。
その先が、門の外の道だった。
三国境の街道だ。東西に走って、南で分かれて、北でこの砦にぶつかり、門で終わっている。
「街道が、この線に沿ってます」
アステリアが、そう言った。
「道が先ではありません。線が先です。……人は、押さえの上を歩きます。歩きやすいからです」
「なんで歩きやすい」
「地面が動かないからです。200年、1寸も」
その日の午後、早馬が来た。
1頭で、乗っていたのは女だ。外套の裾が泥で重くなっている。馬を止める前に降りた勢いで、2歩よろけた。その先を、ポーラが椀を持ったまま支えた。
フィーネだった。
王都から4日の道を、3日で来た顔をしていた。
「ゼノ」
「早えな」
「ミルカさんのお手紙、8日前に届きましたの」
彼女は、そう言って、外套の内側から包みを出し、俺ではなく、リディアに渡した。
それから、リディアの顔を見て、少し驚いた顔をした。
「……あなた、痩せましたわね」
「あんたもな」
包みの中身は、紙束だった。
古い。端が茶色くなって、折り目で割れている。文字が、今の書き方とは違う。
「ネイアの家に残っていたものですわ。……売り立てのときに、買い手がつかなかった分です」
「なんで残ってた」
「読めないものは、値が付きませんの」
ミルカが、その紙束を受け取り、いちばん上の1枚を見て、そこで動きを止めた。
「……これ、魔界文字が混ざっています」
「そうですの?」
「はい。11字だけです。上の横棒が落ちた形です」
アステリアが、横から覗き込んで、眉の端を下げた。
「これは、天界の字です」
「なんで人間の家の書付に、そんなもんが混ざってる」
「分かりません」
「ですが、書いた者は、両方を知っていました。……そういう手は、多くありません」
フィーネは、その様子を黙って見てから、俺の方を向いた。
「ゼノ。ネイアの家が、なぜ潰れたかご存知?」
「知らねえ」
「守るものが無くなったからですわ」
「ネイアは、代々、街道の石を見て回る家でしたの。石が動いていないかを確かめて、動いていたら王都へ書く。それだけですわ。……それだけで、200年、家が持ちましたのよ」
「動かなくなったのか」
「いいえ。逆ですの」
フィーネは、一度、言葉を切った。
「40年前に、王家が『もう見る必要は無い』と決めましたの。街道は舗装されて、石は土の下ですわ」
「それで、名が売りに出たのか」
「えぇ。買ったのが、厩で寝起きしていた小娘ですわ」
彼女は、少しだけ笑って、外套の泥を払った。
「わたし、5万で名簿の1行を買ったつもりでしたの。……石まで付いてくるとは、思っておりませんでしたわ」
リディアが、紙束をめくっていた。
途中で手を止め、1枚を抜き出して、床に置いた。
図が描いてある。
砦と、4本の線と、その中心の点だ。点のところに、小さく何か書いてある。
「ミルカ。読めるか」
ミルカが、その紙に顔を近づけた。
「……『礎の石は、井戸の底』」
「井戸」
俺は、中庭を見た。
中庭の井戸は、焼け落ちた材木で塞がっている。あの夜、逃げ遅れた者が3人、そこへ落ちたまま、まだ上げていない。手が足りず、上げたところで置く場所も無かった。
フィーネが、その井戸の方を見て、それからリィナを見た。リィナは、いつのまにか井戸の前に立って、材木の端を1本、外そうとしていた。
「……3人、おりますのよね」
「あぁ」
「では、先に上げませんと」
語尾が、平らになっていた。
「先に上げます。それから、石を見ます」




